あとがき 〜「沈黙の境界線」〜
執筆年月日 2005年11月
Web小説投稿サイト『-
Short Story FIGHT CLUB -』に投稿した作品です。
(サイトへはこちらから飛べます→)
『つづみ』というPNで参加しました。
懲りもせず、11回目にチャレンジした私です。あはは(笑)
さて、今回のお題は「静」
イメージ沸きやすかったんですが、ひとつのイメージに固執しちゃって。
それ以上どうにも頭が切り替わらなくて、結局このお話になりました。
今回のこの話。タイトルの「沈黙の境界線」でみなさんひっかかったみたい。
ひっかかったというよりは、騙された?もとい、躓いた、かな。
お題が「静」なのにタイトルが沈黙でしょう?
だから沈黙で「静」を表現していると受け止められたみたいで。
ちょーっと違うのだ。まぁ、それだけ上手く書けなかった証拠かな。
読まれた方のなかでお気づきになった方はいらっしゃったかしら。
このお話は何が沈黙で、何が境界線なのかを。
まずお題の「静」は静観者という意味合いで使いました。
静観者と傍観者。その狭間というか線引きがタイトルに結びついています。
しかしながら、今振り返ってもこの部分は描ききれなかった。
難しかったんですよ。静観者と傍観者の差が。
静観は黙って事柄を見守る事。であり。
傍観は黙って手を出さずに見つめる事。であり。
正しい意味合いはもっとあるでしょうが、書く上でそう捉えて。
この差は言葉の意味よりイメージでの差の方が大きいかもしれない。
さて。じゃぁこの話で誰がどこで静観であり、傍観なのか。
それはまぁ、敢えて言うまでもありませんが。
謙太や千尋が静観者であり、先生が傍観者だったと。
でも、謙太はどちらかというと傍観者寄りなんですね。
私が書きたかったのはその部分だったんです。
どうしようと、千尋に言われて。謙太だってそう思っていたんです。
その時点ですでに、静観しきれていないんですね。
結局助ける事も出来ずに、傍観者になってしまったのですが。
それが彼の、見えないところでの心の葛藤になり。
はからずとも傍観者になってしまった千尋は、それはよくないと声を荒げる。
この二人にある差はなんだろうか。
いじめという同じ境遇に置かれ、先生に見放されて苦しんで。
だけど、いじめっこの元治を気にして、良心の呵責に耐えられない千尋と。
これでいいのだと。誰も彼もそうじゃないかと開き直りたい謙太と。
そして、見ぬ振りする事で安全圏に引きこもった先生と。
彼らそれぞれの、静観、傍観の立場を書きたかったんですが……。
無理、でしたかね。やっぱり(ぐすん)
この作品に寄せられた感想の多くは否定的なものが多く。
救いが用意されていないとのご指摘も多々ありまして。
この作品は現実を切り取ってぼんと出しただけ。
小説という形には到底なりえない。とはいえリアリズムにも欠けると。
んじゃぁ、こりゃなんだい?との中途半端な作品である事を突きつけられました。
確かに。ひいろの作風というかポリシーはそうですよ。
現実にあること、日常の中にあること。
誰もが見聞きし、感じた事のある事象を描き出す。なんですが。
ただそれは、書いてどんとだすだけなら日記だってエッセイだってコラムだってそう。
やはりここは、小説として読者に提供して読ませる読み物でなければならない。
小説としての形や面白みに書けるとのご指摘は、痛かったですね。
ああ、あと。
体言止や改行の多さの悪い癖を直そうと必死でやってまして。
そうしたら、ある方の感想に作者の癖が無いとの指摘がっ……!!
そ、そりゃないっしょー。とちょっと涙ぐみ(笑)
でも、ある方は文体からつづみ(ひいろ)ではないかと予想されたみたいで。
それってあれかい?どっちにしろ、必死の努力は形なってないと。
は、はーん。まだまだってことね(重々承知)
それにしても、作品に救いがあるなしで指摘受けるとはな〜。
中身はどうでもいいんかい(笑)<そうじゃないだろうが。
救いはね、これという形で提示するよりはむしろ。
読者が感じてくれればいいんじゃないかと思うのです。
たとえ作中に描かれていなくとも、読後感からこうであって欲しいと思ってくれたら。
それがその読者さんにとって、この作品の中から生まれた救いなんじゃないかと。
ってな事を書いたら、ある方にめっちゃ怒られた(というか怒らせた)
以降、あまりに毒吐きなので。闇に葬ります(笑)
私も悪いとは思うんですが、何でかな。悲しくなりました。
書いてない事を想像しろといわれても……云々。
読み取れないのはこちらの責任なのかと問う前に、己の腕を見直せ……云々。
あ〜その〜。そう言う意味じゃぁないんですが。
まぁ、言葉足らずの私が悪いんでしょうが。
というか、ツッコミどころ満載だったよ?
だって、
『今後つづみの作品に私(その方)が感想を書いても「読了感謝」で結構です』
って、それやった時点で私は作者バレするじゃんか(笑)
しかも、
『私は貴方のように暇人じゃないので……云々』
『レスがあっても返答いたしかねます』
ってさ。何で暇とか決め付けてくるかな。どっからそう思うのよ。
明らかに喧嘩腰で、さすがに私もぶちりと来たんですけど(すみません)
こちらに非もあるだろうと、お詫びしたんですが。
感想掲示板で一悶着起こすのもどうかと思ったので。穏便に。
でもあれだろうな〜。ああいった方は下手に出たら出たで腹立てるのかも(苦笑)
あぁ。すみません。しまっておこうと思ったけど我慢出来ず……。
SSFCから流れてこちらにお越しの方。コレを見てしまった方。
大変申し訳ありませんでした(平謝り)
みなさまは、この作品を読んでどうお感じになったでしょうか。
確かに現実を切り取って、そして明るい未来などなく終わってはいます。
けれど、これが彼らにとっての人生の試練だったり学ぶチャンスだったりで。
これを反面教師にするか、グレる(笑)かは今後の彼ら次第でしょう?
たとえ、いじめという形が消える事が無かったとしても。
みなさまがお感じになった事は作者の意図とは別のところで正しいのです。
小説や物語というものは、読者さまの胸のうちで完結するものなのだと思っております。
作者に出来ることは、ひとつを目の前に提示する事のみ。
誤解されてしまうかな。結論を読者任せにしていると(また怒られる?)
でも、作品は手を離れた時点で読者さまのものだと思うんですが……。
色々考えさせられるSSFC11回でしたが。
結果は二票。ゼロ票だったこともあるので(苦笑)これはこれで受け止めて。
次回……やるのかな?やるの?(怯)
機会があれば、また参加させていただきたいと思ってはいます。
少しずつですが「つづみ」というモノ書きが認知されてきたみたいで(いい意味か悪い意味かはさておき)
作者当てに名前が出ると、おお!ちょっとは名が知れている!と。
まぁ、意味合いは難しい所ですけどね(苦笑)