「 arrow sign - その先にあるもの - 」

 



 いつも笑うことだけ考えてた。
 そうすることで、毎日がものすごく楽しく感じられて、幸せな気持ちになれる。
 
 そう信じて疑わなかった。
 周りに合わせて、自分だけはぐれてしまわないように。
 そうなればいい。それが、一番いい。
 そう、信じて疑わなかった。

 私の曲がった考え方は、どんどん大きくなっていく。
 少しずつ少しずつみんなと違っていくのが、どこかで当たり前のように、どこかで理不尽に感じていた。

 いや、みんなが変わったんだ。
 そう納得させて、笑っていた。

 ある日、突然のある日。
 自分がひどく惨めに思えてしまった。
 なんて、ちっぽけな奴なんだろう。こんな小さな心で、なんて小さな人間なんだろう。
 面白くもないのに笑い、悲しくもないのに嘆いて見せて、そうすることで少しでも共有できる何かがあると思っていた。
 同じものを見、同じものを感じ、そうすることで自分だけはぐれていかないと信じていていた。
 それだけで、自分はみんなと同じなのだと。そう思い込んでいた。

 でも違う。

 だって、この笑顔はこんなにも歪んでいる。
 だって、この心はこんなにも悲鳴を上げている。
 
 私の心は、初めて沈んでいった。
 どんどん沈んでいくような気がした。底なし沼にはまったように、どんな抵抗も許されず、ただずっと奥深くに沈んだ。
 今まではそれが喜びで、それが楽しみで、それが正しいと思っていたのに。
 私は気がついてしまったのだ。
 今までずっと蓋をし続けた、自分自身という深いところに。

 しかたない。と、そう思うことにした。
 何がどう、しかたのないことなのか。はっきりとはつかめない。 
 けれど。
 そうしなければ、みんなとはぐれてしまうのは事実。
 けれど・・・。
 どこかで警報が鳴っているのも事実。
 だから、しかたがない。これは見なかったことにしよう。
 そう、思うことにした。

 万年筆のインク切れと一緒。切れた乾電池と一緒。
 新しいのと取り替えればいい。
 周りに合わせて、臨機応変に。
 私色のインクを取り替える。時には、長持ち電池に取り替える。どんなときの私でも、まわりからはぐれていかないように。
 変わって、まわりに合わせて変わっていって、毎日違う自分、毎日違う笑顔。
 変わって、変わって、いつか本当の自分を見失っていく。
 そんな気がする。
 そんな恐怖が心を揺さぶる。
「私どうしたらいいんだろう」
 そう思ったとき、そう気付いたとき、きっとみんなはいなくなってしまっている。
 自分だけ、はぐれてしまっているに違いない。
 自分も見失って、みんなも見失って・・・。
 そんな恐怖が、心を揺さぶる。

 誰にでも都合のいい人間なんて、結局どんな奴なんだ?

 そんな問いかけ、自分にしてみても答えなんて出てくるはずもない。
 自分に都合のいい人間がいたら、都合良く解釈するんだろう。誰にでも都合のいい人間がいたら、そんなこと考えもしないだろう。
 じゃぁ、私は今どこにいるの?どんな人間なの?
 もしかして、誰も知らない、自分さえ知らない奴になって、何となく生きている。
 たったそれだけの人間なのかな?
 
 そうなの?
 うそでしょ!?
 
 生まれた意味は?理由は?私がここにいる存在の理由は?価値は?
 そんなもの見えないよ、感じないよ、わかりっこないよ。
 空っぽのままなの?
 これからずっと、空っぽのままなの?
 何にもない空っぽの人間になって、いつかどこかでのたれ死にするのもいいかな。
 それでもいいよ、そう思ったらこの悩みは消えてくれる?
 いつか、灼熱の太陽に焼かれて死んでいく。それでもいいかなって思う。
 私の灰は、一つ残らず風にとばされ、ホントに何にもなくなってしまえばいい。それでもいい。
 そんな、そんな最期が待っているのだとしても、それでもいいと思う。
 思わないと、消えてくれないような気がするよ。
 この、疎外感。孤独感。

 ある日、私が予想もしていないある日に、気がつく。
 それって、本当にいいことだろうか、と。
 いままでずっと、奥に奥に沈んでいくだけの気持ちが、ふっと方向転換をしたようなそんな気分になって。 
 でもその気持ちが何を指すのか、自分でもいまいち判らないんだ。
 ただ、これじゃダメだって気が付いたばかりで、フラフラするくらいだから。
 そんな私だから、ちょっと片づける時間が欲しいよ。

 周りに合わせて笑っていると、本当の自分は閉じこめていることに気付く。閉じこもった私は、まるで貝殻みたいにぴったり口を閉じる。
 自分の貝殻にこもって、誰からのノックにも答えない。そんな感じ。

 口にしたくても、はっきりとしないんだ。
 自分自身が。
 
 ホントは、自分はここにいるよって、大声で叫びたいのに、自分で作った貝殻は思ったより硬くて頑丈で、そして冷たかった。
 ホントの自分と、意地の張り合い。そんな感じがした。
 だって、自分のことなのに。どうして自分で解らないのさ。
 意地なんて張ってるから、意志の疎通も出来ないんだよ。

 間違った字を消そうとして、ノートが破けた。
「バカみたい」
 静まり返った教室で、教科書を落とした。
「・・・ごめん」
 友だちの足、踏んじゃった。
「ごめん、痛かったよね」
 会話の流れの中に、私は矢印を見つけた。誰かと私の間に、会話の矢印が出来る。
 会話だから一方通行にならない。お互いに行ったり着たりする会話の矢印。
 時には一方通行でも、片側通行でも、矢印の先に相手がいるだけでいい。それだけで、私は救われる気がする。
 一生誰にも届かない矢印はもうたくさん。
 例えどんなに長い矢印だってかまわない。この先に私の知ってる誰かがいてくれるなら。
 それがいいに決まってる。意地の張り合いはもうやめにしよう。私の貝殻にノックしてくれる誰かに答えたい。
 本当は自分自身の誰かに答えたい。
 結構この中は、暗くて、寂しくて、居心地が悪いんだ。
 矢印に気がつくことで、私の貝殻は簡単に壊れた。
 何があんなにもかたくなに閉ざしていたのか。
 やっぱり意地っ張りだったから?
 そう思うと、自然と笑えてしまうのは何故?

 ねぇ、どうして私は閉じこもっていたのかな?
 ねぇ、どうして私は口を閉じていたのかな?
 言いたいことはたくさんあったのに、どうして口にできなかったのかな?
 私って、少し変わってるのかな?
 そう思われたくなくて、思いたくなくて。
 そんなちっぽけなところから始まった。そんな気がしなくもないよ。


 いつも笑うことだけ考えてた。
 毎日がものすごく楽しく感じられて、幸せな気持ちになる

 はずだった。
 私の曲がった考えは、どんどん、どんどん大きくなって、少しずつ、少しずつ長くなった。
 それは、長い長い時間をかけて、私の背中に「どんっ」とぶつかった。
 私の矢印は、私に返ってきた。
 私の言葉は、誰にも向けられなかったから。
 私の言葉は、誰にも向けなかったから。

 間違った考えが、私の背中を通って、鋭い先が胸に突き刺さる。
 スタートは、私の胸で、ゴールも私の胸だった。
 一歩通行であることの寂しさを知った、一方通行であることの悲しさを知った。
 自分一人、慰めてやれない。自分一人、気持ちを聞いてやれない。
 ふがいなさで、泣けてきた。そして、悲しくなって泣いた。
 一人の辛さを知って、仲間を求めた。
 仲間の温かさを知って、知りすぎて私は、どっぷりその世界に浸り、いつしか自分が見えなくなった。
 孤独を知ることで、孤独になった。仲間を知ることで、失うことの怖さを知った。
 臆病になっていたのかもしれなかった。自分をさらけ出すことを。自分に自信がないから、裏切られたくないから、誰も嫌いになりたくなかったから。
 私に向かってきた矢印はとても、とても痛かった。
 沈みかけてた心を、灰になりかけていた自分を、その痛みとともに分からせてくれた。
 気がつけば、私に刺さった矢印は少しずつ先が丸くなっていく。
 当たっても痛くないくらいに。

 自分にウソをつくことで、何もかもうまくいくような気がしていた。
 ウソをついて、誰にでも気に入られる自分になって、いつも笑っていた。その顔が歪んでいるのも気づかずに。

 いつも笑うことだけ考えてた。

 笑って、本当に心から笑って、嘘や偽りの無い自分でいたい。周りを信じて、笑っていたい。もう二度とあんな痛い矢印はごめんだ。
 本当は、みんな知っていたんじゃないかなと思う。嘘の笑顔や、偽りの自分を。投げかけてくれていた矢印の先が、思ったより優しかったから。
 あわてて、投げ返し始めた私を見て、みんなは笑っていた。
 優しい笑顔で。

 この矢印が、ずっとずっと絶え間なく続いていくように。
 私はいつも発信している。
 自分自身という、その気持ちを。
 その言葉を。
 たったひとつ、嘘偽りのない自分自身を。



あとがき

 

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