「 ケンカするほど…? 」

 



 隣で真由子が眠っている。すやすやと心地よい寝息を立てて。それを見て、なんて愛らしいのだろうと、つい思ってしまう。
 ・・・「つい」思ってしまって、騙された気分だ。ホントの所は、こんなに憎たらしいやつだとは思わなかった。
 そう思わずにいられない程のケンカが勃発。そして、とうとう三日目に突入。
 ケンカの原因は大したこと無かった・・・と思う。今思うと、ひどく曖昧で、バカらしくなってしまった。

― でも、それでも意地を張ってしまう、僕と真由子で・・・。

 狭い部屋で、そこに暮らす二人がケンカをしたとなると、その最中お互いの居場所に困る。僕は大抵真由子の勢いに押され、部屋を飛び出す。背中に真由子の罵声を聞きながら。 それから僕は部屋の窓から明かりが消えたのを見計らって、僕は戻ってくる。冬じゃなくて、本当に良かった。
 暗い部屋の中で、真由子は床で眠っていた。真由子はバカがつくほど意地っ張りだ。二人で仲良く寝ていたベッドには眠りたくない、とでも言うのだろうか。これ見よがしに、床に倒れ込むようにして眠っているようにも思える。
 ため息混じりに抱き上げて、ベッドへ運ぶ。
 足にいろんな物が触れる。何度目かのため息と共に、床に顔を近づける。
 視界がひどく悪い。
 思わず、真由子を睨み付けてしまう。ここ三日、まともに仕事もできなければ、普段の生活もままならない。本当に視界が悪い。
 ケンカの理由がどうのより、解決の糸口を見つける方が先決だな。いつまでもこのままというのは辛い。
 そろそろ、真由子の笑顔が見たい。
 でも、このまま素直に謝るのも、なんとも後味が悪い。

― 意地っ張りなのは、僕も一緒だ。

 手探りで辺りを調べる。テーブルの上に乾いた食べかけのサンドイッチと、飲みかけのコーヒー。床に散らばった色鉛筆と、破かれたスケッチブック。イライラしたときに、真由子が良くやるいたずら書き。
 それにしたって、散らかしすぎだろ?。
 まるで、真由子の影があちこちに散らばっているようで、息が苦しくなる。こんなにも、この部屋に僕の居場所がないとは思わなかった。
 仕事ばかりするのも、良くないかな。・・・ちょっと反省した。
 真由子の隣に潜り込んで、顔をのぞき込む。昼間はふくれっ面だった。今は憎らしいくらいに、安らかな寝顔。急にごろんと寝返りを打つ。真由子の顔が近づいて僕を困らせた。そっと色の白い手が伸びて、僕の腕をぎゅぅっと掴んだ。女の子の割に強い握力が、腕を締め付ける。
 ・・・痛い。一体どんな夢を見ているんだか。
 ・・・想像はつくけど。
 ふと目が覚めて目覚まし時計を見ると、七時を指そうとしている。目覚ましが鳴る前にベッドを抜け出さないと。
 一緒に寝ていたのが判れば、何を言われるかわかったもんじゃない。
 そっと抜け出して、思わずため息がでた。昨日の夜確かめたけれど、ひどい散らかりようだ。朝になって、少しは見通しの良い視界でもう一度その様子を確認すると、ため息をつかずにはいられない。とりあえず、ぼやける視界で、なんとかテーブルの上は片づけた。

 今朝の最初の一言は、決まったな。
―「私のサンドイッチは?コーヒーは?」
 片づけたって言えば、
―「起きたら、食べようと思ったのに」
 きっと、意地でも食べるんだろうな。
 ぱさぱさに乾いたサンドイッチと、冷たいコーヒーを。
 それも、すごく不機嫌な顔で。

 顔を見たら、何か言わなきゃ気が済まない。そんな彼女の性格を知った上で、僕はせっせと片づける。まるで、文句の原因を作っているようだ。あわよくば、これできっかけを掴んで、なんとか事態を収束しようと目論む僕は・・・。
 意外に健気じゃないか?
 キッチンへコーヒーを飲みに立つと、目覚まし時計がなった。毛布から真由子の腕が伸びて辺りを探る。その様子を流し台に寄りかかりながら、僕は悠然と眺める。
 少し意地悪をして、目覚まし時計をベッドの下に隠しておいた。昨夜遅くに部屋を出て行かなくちゃならなかった仕返し。
 不機嫌なうなり声が毛布の下から聞こえ、辺りを探る腕がひどく苛立っている。僕は、コーヒーの湯気の向こうを小さく笑った。
「・・・・」
 突然がばっ。と勢い良く起きあがり、真由子は不機嫌顔だ。短かくしたばかりの髪をくしゃくしゃとかきまわすと、僕を見て「ふんっ」と大きく鼻で笑った。不機嫌で、不敵で、そして眠そうな顔で。
「これくらいで、仕返しをしたつもり?」
 ジリジリとだんだん音が大きくなっていく目覚ましの音で、真由子の小さな声が隠れてしまう。聞こえないフリをしてとぼける。
「真由子、おはよう」
「・・・目覚まし、どこ」
 眉間にシワを作りにらみつける。その視線の中にまだ眠そうな気配がある。眠いけれど、怒らずにいられない。わざわざ起きあがってでも、文句を言わずにいられないそんな感じだ。
 床に散らばった色鉛筆が、足にぶつかってころころと転がっていく。ベッドの中の真由子へ歩を進めながら、色鉛筆を拾ってケースにしまっていく。最初はオレンジ、次は赤。真由子の好きな色から並べていく。真由子はいつもそうして、しまっているから。
 真由子の側に寄って笑いかけると、真由子はベッドの上で唸りながら顔をしかめている。「昨日、寝付けなかったんだからね!」
「じゃぁ、もうひと眠りするといいよ」
「・・・イジワル!」
 ほんとに、ほんっとイジワル!
 真由子の毒舌や視線。それらを全部無視すると、真由子の寝癖でボサボサの髪を手で梳いて、Tシャツから出た肩を直すと、苛立った肩を抱いてベッドに横にする。丁寧に毛布を掛けて・・・。
「おやすみなさい」
「・・・目覚まし」
「知らないよ」
 真由子をのぞき込んで、僕は首を振って言う。
「それよりも、僕の眼鏡をどこに隠したの?」
「・・・知らない」
 ふてくされて真由子は言った。そんなの知らない。
 何度も何度も同じ質問を繰り返した。ここ三日で、僕のセリフはこればっかり。
「あ、そう。じゃぁ、僕も知らない」
 真由子は恐ろしく不機嫌な顔で僕をにらみつけると、人差し指をピンと伸ばした。
「あ・れ」
 神経質そうな、白くて細い真由子の指は、棚の上のクッキーの缶を指していた。
「あれ?」
 僕が聞き返すと、真由子はその人差し指で、僕の頬を強くつついた。
「・・・目覚まし」
 まるで、僕の頬が鳴り続ける目覚ましのスイッチのように、何度も何度もつついて、ぐりぐりと、押しつける。どうしてこんなに力が強いんだろうか。
 つつかれた頬をさすりながら、クッキーの缶を取り上げる。中には僕の眼鏡が入っていた。クッキーの甘い匂いと、細かいくずにまみれていた。
「・・・メザマシ、トメテヨ」
 真由子の声は、半分眠ってしまっていた。よほど眠かったらしい。眼鏡のレンズは、所々、クッキーの油で汚れてしまっていたが、仕方なくそのままかける。躓き、ぶつかりながら歩いていたのに比べればまだましだ。僕が夜中に眼鏡無しで部屋を飛び出したとき、どれほど心細かったことか。
 ベッドの上でうんうん唸っている真由子が、可哀想になって慌てて目覚ましを止めた。すると、はっきりと聞こえるくらいに大きな舌打ちをして、真由子は頭から毛布をかぶった。まるで、バツが悪くてあわててベッドに潜り込む子供のように。
 はっきりする視界に安心のため息をついて、僕はベッドの脇に座り込んだ。

― これでやっと、仕事が出来る。・・・ケンカの原因だった仕事が。

 まだまだ三流のプログラマーな僕だけれど、仕事となれば部屋に籠もり、ほとんど一日中をパソコンと向かい合ったままで過ごしてしまう。おかげで、この仕事を始めて視力もかなり落ちた。今では、眼鏡が無いと普通に生活することもできなくなった。
 パソコン相手に仕事をし、その間中、真由子は放っておかれる。そこまで気が回らないのだ。そんな僕に、真由子は毎日毎日不満を募らせていた。僕は僕で、日々の忙しさにかまけて、真由子の不満を聞き流していた。
 そして真由子は、ついには僕の眼鏡を取り上げるという、荒技にでたのだ。
 その真由子の言い分は、僕にとってはどうでもいいような・・・気がしてならない。
 パソコンに向かっている時は、少しも私のことを考えていない。と言うのだ。仕事中だから仕方がないじゃないか、と思うのだが。機嫌を取るため仕方なく仕事中、真由子の声に答えて眼鏡越しに振り返ったら、その顔がおそろしく不機嫌だとまで言われる。
 その上、言われた事。
 キスするとき、眼鏡を外すと真由子の顔が歪んで見えること。この前、何の気なしに言った事をものすごく気にしている。真由子には、実際どれくらい歪んで見えるか判らないくせに。かといって眼鏡のままだと、それはそれで文句を言う。
 そして、キスの先も。
 眼鏡がないのでちょくちょく、真由子の不機嫌を誘う。勝手知ったる真由子の身体であったけれど、気づかずに足を踏んだり、体を起こそうとして誤って髪を踏んでは怒られる。度々不穏になる空気に、解決策としてコンタクトを作ると宣言した。・・・ものの、一年が経過。
 昨日は、その事で言い争った。あまりに言われ放題で、頭に来た。
 長い髪のせいでもあると、僕がつい口を滑らせたものだから、怒った真由子は、髪を切りに出かけていった。実に、意地っ張りで、有言実行タイプ。それには僕も閉口したけれど、言ってしまったこととはいえ、とても後悔した。

 ・・・最初は、なんとか取り繕って、真由子の機嫌を直そうと努力をした。それはもう、涙ものの努力といえる。とにかく、ひたすら謝り続けた。期限の迫った仕事があったから、必死で。
 しかし、一向に態度を軟化させない真由子に、僕もいい加減つき合いきれず、大声で言い争いをし、昨日はとうとう部屋を飛び出した。ここは僕の部屋で、居候は真由子の方だったけれど、怒りにまかせて左右違うサンダルを引っかけると、何度もつまづきながら、部屋を出た。
 意地っ張りな僕は、飛び出した手前そう簡単には戻れず。かといってぼやけた視界では夜の道は怖くて、アパートの前の道路に座って、時間が経つのをひたすら待った。
 意地っ張りな真由子は、言ってしまった言葉を取り消せず、眼鏡無しで飛び出した僕を心配し、待ち続けて床で居眠りしていた。

 背中で真由子の寝息を聞きながら、冷めたコーヒーを飲む。言い争った三日間を振り返ると、笑いが止まらない。ケンカというものは、どうしてこうもこじれるのだろう。原因を忘れてあんなにも意地になってしまうのだろうか。
 ケンカの最中は、これ以上にない。という位にお互いの粗が見え、卑屈になり、口を開けば悪口ばかり。狭い部屋はここ三日で随分荒れた。仲が良ければ、その分だけ余計にこじれる。
 面白いメカニズムだ。

 笑っていられるのは、さっきは僕が勝ったからで・・・。
 目を覚ました真由子が大荒れする前に、コンタクトでも作りに行こうか。久しぶりの眼鏡は、重たくて違和感がある。これはコンタクトに替えるいいチャンスだな。

 一年前に書いてもらった眼科の処方箋は、どこにしまい込んだかな?
 いや、それよりも、有効期限はどうだろう。まだ生きているだろうか?
 ・・・でもなんだか、すっごい嫌な予感が胸をかすめるのだけど?

 まてよ・・・それじゃ、この三日間はどうなるんだ?真由子は髪まで切ったのに。だからって、このまま眼鏡じゃ結局なんにも解決してない。せっかく見つかった眼鏡だって、意味が無いじゃないか!

 あぁ、なんてこった。

 どっちにしろ、真由子の雷が落ちるに決まってる。一年前にコンタクトを作っておけば、なんて事無かったのに。
 ・・・って、今頃気がついてどうするんだよ!
 今かけている眼鏡がほのかに甘い匂いを残して、行き場を探して途方に暮れている。せっかくだから、もう一度クッキーの缶に戻るっていうのは?それで、今度はコンタクトについてケンカを始めるのも悪くないかも。


 ケンカするほど仲がいいって、昔の人も言うだろう?



あとがき

 

 

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