『いわないで』
「好きな人いるの?」 昼休みのにぎやかな中で、彼女の声がひときわ大きく聞こえた。彼女は、食堂に続く渡り廊下の階段に座ると、自分の隣を叩いた。 隣に座れというのだろうか? じっと見つめられ、そうでなくてもさっきの質問にどうしていいか困っているというのに。僕の心臓は100mダッシュの後のように鼓動が早い。 聞こえないフリと、平常心を装って、彼女の斜め前に座るとパンをかじった。 「好きな人いるんだ」 彼女は僕の無言の答えから確信を得たようで、イタズラっぽく尋ねた。 ねぇ。そうなんでしょう。と肩を叩いて。 あなたです。とは言えなかった。本人を前にして。 振り向かない僕に、「怪しいなぁ」とつぶやくと彼女は笑う。 幼なじみのせいか、年上のせいか、僕には彼女と会うことがすこしだけ苦しい。 とても好きだから。 「怪しい。隠すことナイじゃない」 はしゃいだ感じの声に、僕は憂鬱になった。 僕の前に投げ出した両足が視界にはいる。真っ白なスニーカーと細い足首。 ずっと一緒に育ってきた2つ上の彼女が、いつからか僕の中で大きな存在になって、今ではこんなに好きだった。彼女の隣に座れないくらいに。 僕は、パンを口の中にぎゅうぎゅうに押し込んで、かたくなに無口を通す。 「キミの事、心配してあげてるのに」 彼女はため息ごしに言った。邪険にしないでよ。と、まるで姉貴みたいな口調で。 「別にイイや。言いたくないなら」 少しトーンの落ちた声で彼女は言った。背中で感じられる彼女の表情は限られていた。 けれど僕は、振り向くのが怖かった。 まっすぐ目を見て話せなくて、いつも背中越しの態度が、彼女にはぶっきらぼうに写っていたのかもしれない。 僕は急に身体がこわばった。背後で立ち上がる気配を感じて、僕は焦った。怒らせてしまったのかもしれない。 目の前にストローのささったコーヒーパックが差し出された。彼女の細い指が目にはいる。それを受け取ると、彼女はまた僕の後ろに戻っていく。怒ってはいないようだった。 「ごめんね。変なこと聞いて」 年下いじめはもうやめるから。彼女は笑いながらつぶやいた。小さな声で。 背後に感じるのは、彼女の視線と、限られた表情。そして、ちょっと困ったような笑い声と、少しの気まずさだった。 振り向けばすぐそこなのに、振り向くことも、近づくことも到底できそうもなくて、いつもこんな感じだ。 「ちょっと相談事だったんだけど、また今度でいいや」 そういって彼女は、階段を下りた。あわてて僕は彼女を呼び止める。 「いいよ。気にしないで。大したことじゃないから」 「ミサキ・・・さん」 何という表情の彼女。振り向きざまの彼女の表情に、僕は苦しくなった。あわてた僕に心配している表情。まるで僕を子供扱いしている目。 口まで出かかっている言葉が、ピーナツ詰まらせたサザエさんみたいに、言葉の固まりが大きく音を立てて、下へ落ちた。気がした。 「・・・ナンデモナイデス」 ストローをくわえて、僕は彼女から目をそらす。彼女は僕の態度に何かあると感じて、好奇心たっぷりに、僕の顔をのぞき込む。 「ナニナニ・・・。”実はミサキさんが好きです”とか言ったりして」 彼女は笑っていた。僕は飲んでいたコーヒーを吐き出しそうになってげほん、げほんとせき込んだ。 コーヒーがハナに入って痛い。 「そんなこと言わないでね」 彼女は声を立てて笑って言う。ハンカチを僕に差し出して、背中をさすってくれた。まったくいつまでたっても子供なんだから。そう言って。 笑い事じゃない。苦しくて涙目のまま、訴えた。 そんな僕の前をクラスメートの竹原が通りかかる。何だあいつという目で。 僕はこれ以上ないという苦しさの中で、彼女の小さな声を聞いた。小さいけれど、すごく嬉しそうな声を。 タケハラくん! 僕をさする手も止まり、通り過ぎていく竹原を目で追う彼女。 「もう大丈夫だよね」 一転、心配のかけらもない言葉。すでに彼女の足は竹原の方向に向いている。 「・・・まさか」 そうつぶやく僕に、顔が少し赤くなった彼女。こんな彼女の顔今まで見たこと無い。 「今日ね竹原くんの事、聞こうと思ってたんだ・・・」 「ミサキさん・・・竹原のこと」 彼女の視線は、ドアの奥に消えた竹原を追っていた。 「言わないでね。竹原くんに」 絶対よ。そういって彼女は後を追って走っていった。 苦しくて泣いていた目が、悲しくて泣いていた。 最初の「言わないで」とはずいぶん違う口調だった。 ナンダ ソウイウ コトカ。 珍しく僕を呼びだしたと思ったら。 ナンダ ナンダ ヤッパリ ソウカ。 「言わないでねー」 ドアから顔を出して念を押す彼女。バタンと閉じたドアの音に、僕は笑いたくなった。 結局僕は、何にも言ってないんだけどな。 そんなこと言わないでよ。 |