「ヌイグルミと彼女」

 



 「実はね・・・」
 と、彼女は言いました。僕の手を取って、そして少し悲しげに。
 つい一ヶ月前には、今とは逆にニコニコ顔の彼女がいました。

 「実はね」
 と、とても嬉しそうに。


 僕はその続きが気になって、じっと彼女を見つめます。彼女も僕を見つめます。あまりに彼女が僕を見つめているので、恥ずかしくなって両手で顔を隠したくなりました。けれど彼女は僕の手を握ったまま、僕の手を返してくれません。ずっと僕の手をぎゅうっと握ったままです。
 彼女は僕の気持ちなんて、お構いなしのようです。
 僕としては、近すぎてしまった距離を少し離したかったのだけど、それとは反対に、彼女は力一杯僕を引き寄せるので、なんだか少し窮屈になってしまいました。仕方なく僕は、そのままぴったり彼女にくっついた状態で、話の続きを待ちました。

 「実は」
 なんだったのでしょう。

 彼女が続きを話してくれるのに、時計の針は五分ほど進んで、すっかり沈んでしまった空気の中で、僕は彼女の腕に抱かれたままじっとしていました。

 『実はフラれてしまいました』

 彼女はちょっと言いにくそうに言いました。じわんと彼女の瞳が濡れていきます。今にも瞳からこぼれ落ちそうです。

 『実はフラれてしまいました』

 一ヶ月前と逆の言葉です。一体、彼女に何があったのでしょう。

 『好きな人ができて・・・フラれたの』

 彼女はそう僕に言います。何度も何度も、確認するように口の中で繰り返しています。
 いつしか彼女は、たくさん涙を流していました。わんわん泣き続ける彼女に抱きしめられたまま、僕は身動きが出来ませんでした。こんな彼女を見るのは初めてでした。

 僕は元々、何もできないヌイグルミでした。
 だから彼女の腕にきつく抱かれ、身体がくびれてしまいそうになっても、たくさんの彼女の悲しい涙を体中に吸い込んでいきました。
 少しでも彼女の役に立てるなら、それでいいと思いました。
 ぐしゃぐしゃに濡れてしまっても。
 

 それは、僕に出来るたった一つのことだから。
 それが、僕に出来るたった一つ。
 それでもいいと、思いました。
 彼女の役に立てるなら、それでいいと思いました。



あとがき

 

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