「 高い買い物 」

 



 イッタイナンナノヨ。

 ユミコはつぶやいた。無表情な言葉は、今のユミコを痛いほど表現していた。そして、僕を見て納得できないといった感じに首を振る。
 日曜の午後。コンビニの電話ボックスの前で、ユミコは足下を見つめて動かない。
「信じられないわよね。ホントに」
 ユミコは見えない誰かに訴えかけていた。
 気を落とすなよ。僕のつぶやきにユミコはため息ごしに言った。
 私はサザエさん?
 そういうと、今度は悔しそうに、それでもどこか"一本取られた"といった感じで、両手を挙げた。
 オテアゲ。
「サザエさんは、魚だろ。盗ったのだってネコだったし」
 そういってユミコの肩をたたくと、首が取れてしまいそうな勢いで振り返ると、一言。キヤスメハヤメテ。と氷のような声。
「ナンテバカナノ。あぁ、どうすんのよ」
 ユミコは一人で怖い顔をしている。犯人見つけたら、八つ裂きよ。
 それを聞いた僕は、言いかけそうになった言葉をあわてて飲み込んだ。
 たかが、バッグじゃないか・・・。
「今、"たかがバッグじゃないか"って思ったでしょう。私のバッグなのよ。ついこの前買ったばかりの。すっごく高かったのよ。誰よっ犯人は!」
 噛みつきそうな勢いで、僕に詰め寄る。
 犯人探してよ!!
「八つ裂きは困るな」
「冗談はヤメテ」
 ユミコは怒っていた。どうしようもないくらいに。
「僕が新しいの買ってあげるよ」
 仕方なく僕は、買っておいたユミコの誕生日プレゼントを差し替えることにした。
「あれがいいのよ」
「同じの物を」
「高いのよ」
「・・・いくら?」
 僕は恐る恐る聞くと、ユミコは指を3本立てた。
 3万?
「3万じゃないわよ、30万」
 消費税込みよ。
 ユミコはこともなげに言う。驚く僕の顔を見て、ユミコは苦笑いしていた。
「前言撤回してもいいわよ。さすがに私も、頼めないもの」
 アゼンとして、言葉にならない。バッグが30万。あんなに小さくて、何にも入らないような物が?
 ・・・ブランド恐るべし。
 僕は喉が引きつりそうになっていた。
 言うんじゃなかった。またまた高い買い物をいなくちゃいけないなんて。
「いいわよ、無理しなくて。とにかく警察に届けましょう」
 少し落ち着いた表情でユミコは笑った。つられて笑いながら、内心ホッとしていた。
 これ以上、無理はできないでしょう。

「財布とかカードとか大丈夫でしたか」
 警官は事務的に尋ね、それにユミコは腹を立てていた。
 電話を掛ける為に公衆電話に立ち寄り、置き忘れたのはバックだけ。それが不幸中の幸いだったと、僕は思うのだが・・・。
「大丈夫です。中身は大した物入ってないと思います」
 僕が不機嫌なユミコの代わりに答えると、警官は面倒くさそうに、ボールペンを走らせる。何度も同じことを聞かれてムスッとしているユミコと、なんだか態度の悪い警官とに、僕は板挟みだった。
 まったく今日はいいことがない。
 せっかく縁起を担いで、今日にしたのに。待ち合わせからこんなことが起こるなんて。
 日曜日のしかもお昼時にやって来た僕らも悪かったのだ。交番に入ったときには、一人しかいない警官は昼食中だった。その上やたらと態度のでかい、どう見ても不機嫌顔のユミコが、良くうつるはずもなかった。
「どこでなくされたんですか」
「盗られたんです!!」
 間髪入れずにユミコは言った。なにを聞いてるのよ。と言いたげなユミコと、さらに機嫌の悪くなる警官。
 場は気まずくなるばかりだった・・・。

 結局、二人は始終そんな感じだったので、説明もそこそこに、僕らは交番を後にした。
「いいわね、あなたの千九百円のバッグは無事で」
  また機嫌を悪くしたユミコがボソッとつぶやいた。トゲのたくさんある言葉。
「あなたが家に電話しとけって言うから」
「・・・ごめん」
 僕はなんだか割り切れない。今夜は遅くなってもいい?そういった僕が悪いんだろうか。即座に謝った僕は、先が思いやられると思った。
 遠い未来が。
 今までも結構わがままだったから、少しは慣れていたつもりだったのに、なんだか自信をなくした。
「一日つぶしちゃたわね」
 ユミコはまだ少し、怒った感じで言った。少しだけ優しい笑顔をして。いい加減怒るのも疲れたといった感じだ。
「さっきはゴメンナサイ」
 ちょっと怒ったでしょう?そういってユミコは、背中を向けた。
 いつも謝るのは僕の役目みたいになっていたので、それはとても不自然にさえ思えた。
「いいよ。千九百円は本当だからね。君のバッグに比べたら、なんてことない物だけどさ・・・」
 僕は続きを言うのをやめた。本当は、ユミコのバッグよりも今は高価だってこと。ユミコには悪いけど、盗まれたのが僕のでなくてよかったことを。
「なに?」
 ユミコは不思議そうな顔をする。僕の顔をじっと見て言葉を探していた。僕もうまく言い出せなくてユミコを見つめた。
「ヤダ気持ち悪い」
 ナンテコトダロウ。
 以外に男心は伝わらない。
「何だよ、そういう言い方ないだろ」
「だって今更じっと見つめ合うような仲じゃないでしょう」
 確かにつきあい始めた頃にくらべたら、今更なのかもしれない。お互いに知り合った頃のように若くはない。顔から火を噴きそうな甘い言葉だとか、お互いを見つめるだけで幸せに浸れるなんてこと、今の僕らにはない。そんなこともあったなんて、微塵も感じさせない"僕"と"ユミコ"になってしまったのだ。5年目の僕らには、甘い言葉も、今や人工甘味料みたいだ。
「そんな歳でもないか」
「そうよ、もうすぐシワとかできちゃうのよ」
 笑いながらユミコは目尻を引っ張った。
「まだ早いだろ」
 その顔に笑って言うと、ユミコは、お肌の曲がり角よ。と笑った。
「気をつけないとね。どんどん老けてシミとかシワとか出来ちゃうのよ。今が肝心なんdなから」
「はいはい。曲がり角なんだろ」
 僕が言うとユミコは笑った。なんだか急に年を取った気分になって、寂しくなった。まだ遠いと思っていたことが、今の会話で駆け足でやってきたみたいに。少しシワのできたユミコと、白髪混じりの僕とが見えてきそうだ。
「ねえ、これからどうしよう。カラオケとか、ショッピングとかパーッとしようよ。それから・・・」
 指折り数えながらユミコは聞いた。
「期待裏切るようで悪いけど、ショッピングはできそうにないよ」
 そうでなくても僕は、ユミコに高い買い物をしているので、リクエストに全部応えるとなると、ちょっとツライ。
「思い出しちゃった。あの時のあなたの顔」
 困った僕の顔を見て急に吹き出すと、ユミコは僕を指さして笑った。
 バッグの値段聞いた時のあなたの顔。
「すごい顔してたのよ。まるで、値段を見間違えた時みたいに。ゼロ一つ多かったってカンジに」
 ユミコの笑いは止まらない。ひどい言われようだ。確かに金持ちではないけど、ユミコのリクエストには、応えてきたつもりだ。
 ・・・なんだか、ナサケナクなってきた。
「あの時は、本当に買ってあげようと思ったんだ。どんなに高くても。でも今はちょっと無理なんだ。それよりずっと高い物買っちゃったからね」
「あのバッグより高い物?ずいぶん思い切ったのね」
 人がずいぶん貧乏な言い方だ。確かに事実だけど。
「何買ったのよ。なになに?興味あるな」
 からかい半分、興味半分といった感じでユミコは聞く。僕は、どうしようか迷った。今言おうか、それとも別の日にしようか。大切なことだし、せかされて言うようなものでもないし。
 僕がそう思って話を変えようとすると、ユミコは、また悪い癖が始まった。といって僕を肘でつついた。
 都合が悪くなるとすぐ話を変えるんだから。
 あまりにも、僕が悪いことを隠しているかのような目つきで言うので(いつもそうなのだから仕方ないけど)仕方なく僕は言った。
 ユミコの・・・。
「・・・ユミコの未来」
 僕が言うと、ユミコは「何それ」といった。またつまんない冗談言って。とユミコは、僕を軽くにらむ。
 全く男心は・・・。
 バッグから小さな箱を取り出す。この日のために買っておいた、ユミコへの誕生日プレゼント。
 それは千九百円のバッグに入れておくにはもったいないくらいの「ユミコの未来」
 驚いているユミコに僕は笑った。なんだか照れくさくて笑ってしまう。
「大丈夫だよ。ゼロの数、数えて買ったから。」
 ユミコは箱を開けると、僕を見つめた。小さな箱を包んでいたリボンが、風に揺れてユミコの指に絡んだ。そして、箱の中身を見てユミコはとびきり綺麗に微笑んでいた。
「今更だけど、気持ち悪いって言わないの」
 見つめ合ってて。
 僕はユミコの反応がちょっとだけ嬉しい。
 驚いた表情の中に、優しいユミコの素顔が見えた。
「バカ。サイテー」
 何か気の利いたこと言えないの?
 ユミコの、ちょっとキツイ物の言い方や態度なんかが、すごく優しかった。絡んだリボンの代わりに「ユミコの未来」の指輪をはめてあげると、ユミコは泣いた。大きく肩を震わせて。今まで僕の前で涙を見せなかったユミコが、僕の前で泣いた。
「・・・初めてみた。ユミコの涙」
「サイテー」
 そういって、ユミコは笑って泣いた。

「今更甘い言葉なんて言えないよ」。
 と僕が言うと、
「今更聞く気なんてないわよ」
 とユミコは言った。

 以外といいコンビなのかもしれない。
 僕は嬉しくなってユミコを見つめた。気の利いたプロポーズもできないけど、ユミコの涙がすべての答えのような気がした。
「・・・もっと高価なんだからね、私たちの未来は」
 悔し紛れに言ったユミコのセリフを、僕はずっと忘れない。
 
 シワと白髪の二人になっても。その先も。



あとがき

 

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