『 優しい気持ち - 啓祐編 -

 



 昼休みの廊下は、昼食後ののんびりとした雰囲気がある。
 午後の授業までの間、妙に間延びした時間でもあり、くつろぎの時間でもある。
 そんな中にあって、一人でぼんやりとしている後姿を見つける。さわさわと窓から吹き込む風に、乱暴に髪をかき乱されながら柚子は立っていた。
「おめでとう。良かったね二人とも」
 そういって、にんまりと笑った口の端が小さくゆがんでいるのも、精一杯の虚勢がそう言わせたのも、俺には痛いほど伝わっていた。
 柚子の精一杯の強がりが、精一杯の気持ちだったのだと思っていた。


「片瀬柚子は、失恋で再起不能なんだって?」
 ぼぉっと、魂が抜けたような表情で、柚子はあてもなく視線をさ迷わせていた。そんな後姿があまりにも痛々しくて、ついそんな言葉をかけてしまった。
 言ってから、あ。と思い、肩を叩いてからさらに後悔した。
 振り返った瞳が、じんわりと涙に濡れていたから。
 こんなとき、誠のように優しい言葉の一つでも掛けてやれたらと思う。不器用な自分が腹立たしい。
「昼飯食わずに、なにぼんやりしてんだ」
 柚子が何も言わずにぼんやりとしているので、不安になって声を掛けた。
 美希と誠が付き合っていると、俺たちに告げたあの日。柚子の失恋を決定付けた。
 柚子が誠を好きだったのはいつからだろう。それに気がついたのもいつからだろう。
 そして、自分の不器用で中途半端な柚子への気持ちも、いつからだろうか。
 中学からの仲良し四人組がそろって同じ高校へ入ったとき。俺だけ一人別のクラス。その時から、どこかでこんな日が来る事を予想していた。
 あの頃からずっと、誠と美希はお互いが気付かぬうちに惹かれあっていた。それは周りにいた俺や柚子の方が、ずっと熟知していたかもしれない。
 そんな中で、それでも柚子は誠を好きでいた。きわどい三角関係が崩れることなく同じクラスへ。
 一人、他のクラスになった俺が、どれだけやきもきしたことか。
 そしてあの二人の交際宣言が、止めを刺した。
 本当は柚子の事を心配して訪ねてきたことなど、言えるはずもなかった。
 窓から吹き抜ける風がばさりと髪をかき上げる。乱暴な風に背を向けるようにして、柚子の隣に並ぶ。 
「美希が心配してた。自分らが付き合い始めてから、柚子がよそよそしいてさ。言わないって決めたなら、最後まで気づかれるなよ。余計な優しさを振る舞うつもりなら、最後までやり通せ」
 お前のは優しさと言うより、ただのエゴだと俺は思うけどね。
 意地悪く言って、冗談だというように笑って見せても、柚子は寂しそうな顔をするだけだ。
 いつもみたいに突っかかってこいよ。そう願って。
「ずいぶんな言い方ね。わざと?」
 口調だけはいつもどおりに、柚子はいった。突き放すような、寂しい声だった。
 くるくると、瞳が忙しなく動く。泣くまいと、努力しているのが見えた。その瞳の奥には泣きたいほどの気持ちがあるのだ。
 そう思うと、その瞳をぐっと覗き込まずにいられなかった。
 泣くな。柚子。頑張れ。
 意地を張ってきっと泣かないだろう。俺に突っかかって、悪態をついて。それでいい。
 頼むから、抱え込まないでくれ。
 俺の前では、ぶちまけてもいいんだぜ。
「そっちこそ。俺は二人を祝福してるんだぜ。お前もそう思ってるんだろ?」
「・・・・さぁね」
 いつもの柚子を引き出そうとする自分の口調に嫌気がさす。
 ふっと、柚子は視線をそらした。弱々しい視線がほろりと外れていくのを目で追った。そのまま溶けていきそうなほど、弱いため息がこぼれた。
「そう思え」
 ちゃんと二人を祝ってやれよ。
 柚子を引き戻そうと、その肩を掴んだ。その言葉が柚子にとってどれだけ辛いのか、考えなくともわかる。
 だけど。そこからじゃなきゃ、はじまらないだろ。
「・・・あ、あんたと話していると、見下されているみたいで嫌だわ!」
「お前を見下す?まさか。そんな下品なことしないぜ。それをいうなら"見透かされてる"だろ?」
 腕を振りほどくように柚子は身体を離して言った。
 見下してなんかいない。見透かすほど、俺は器用じゃないよ。
 笑っていた。柚子が笑えない分、笑っていた。柚子が身体を離した分、余計に柚子の心が遠くなってしまったように感じて、それでもいつもどおりに返してくれるなら、それでいいと思った。
「最低ね。ざまあみろって思ってるんでしょう?」
「随分荒れてるな、柚子。やっぱりショックだったのか。わかってたんだろう?こうなるの」
 この言葉は自分にも向けられていた。
 わかっていたんだろう?柚子が傷付くのを。
 憂鬱だ。こんな柚子を見るのも、ちゃかすしか出来ない自分も。
 俯いたままの柚子の髪に触れる。柔らかい感触が触れたとき、思わず抱きしめそうになって、柚子の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「髪・・・切るのか?」
 そう訊ねると、柚子はぷっと吹き出した。ぎこちなくだけど、おかしそうに笑った。
「これ以上短くできないわよ」
 自分の襟足の髪を触って、柚子は笑って言った。
「コンプレックスか・・・。ホント、お前はコンプレックスの塊みたいなヤツだな」
 柚子の襟足を、からかうように弄んでふと思う。 
 柚子の髪が、これより長くならなくなったのはいつからだろう。最初に会ったときから、ずっと短かったわけではない。最初に会った頃の柚子はもう少し長い髪だったような気がする。けれど、思い出す柚子はいつも短い髪ばかりだ。しなやかな黒髪の美希が、いつのまにか柚子のコンプレックスになっていた。
 女同士とは、そういうものだろうか。
「伸ばせばいいだろ。意外に似合うかも知れない」
「慰めてるの?まいったわ。ホント、あんたにはなんでもかんでもお見通しなのね」
 お見通し。いや、お前のことが気になるからに決まってるだろ。
 ぐっと、言葉を飲み込んだ。
「いや。何でもって訳じゃないさ。お前のことは特にわかるってこと」
「私が単純だからっていいたいの?」
 単純は・・・単純なんだろうな。そんな風に思う。こんな風に、がっくりと落ち込んでしまうのも。
 それなのに、何でこんなに伝わらないのだろう。俺の気持ちは。
 一か八か、言ってみるか?
「お前が好きだからさ」
 ・・・がつんっ。
 言い終わったと、思ったとき。左頬に痛みが走った。目の前で、怒りに震える柚子がいた。びゅっと握り締めた拳を振り上げたままで。
「いくら何でも"ぐー"で殴るなよ。女なら平手までにしろ。可愛げがない」
「バカにしてるの?いい気なものね。あんた美希が好きだったんじゃないの?」
 ・・・はい?
 柚子が怒っているのは、それのこと?
 俺、今おまえが好きだって、言ったばかりじゃないか?
 このまま、冗談で終わるならそれでもいい。そう受け取られてもしかたがない、シチュエーションだ。
 ・・・最初から最後まで、通すしかないだろ。
 それにしたって、どういう展開なんだよ、これ。さすがに、笑える。
「・・・お前って、ホント単純で・・・バカ。かもな」
 もう一度、目の前に柚子の拳が現れる。
 何でそんなに怒るんだか・・・わかんねぇ。
 でも、ふるふると怒りに震える拳も、柚子らしい単純一直線も、戻ってきたような気がしていた。
「元気出せよ!おバカさん」


 柚子は不器用だ。
 本当は、美希よりも誠よりも優しくて、素直なくせに。それを認めようとしない。そんな態度がもどかしくて、ついからかってしまう。
 本当は、俺自身が一番不器用なのかもしれない。皮肉や意地悪が板について、それきりそれが俺の持ち回りになった。
 なんだっていい。あいつを笑わせてやれれば、それでいい。そうして、なるべく側で見守ってやりたい。
 困ったように笑うときも。
 怒りのやり場に困るときも。
 泣きそうで、堪えたいときも。


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