『 優しい気持ち - 啓祐編 -

 



 今日もまた、気になって柚子の教室を覗きに来た。
 心配でとは、口にはしない。きっと柚子も腹を立てるに違いないから。
 けれど、昨日の今日で。柚子と美希たちの間に妙ないさかいでも起きているんじゃないかと、不安もあった。案の定、教室の入り口から中を覗き込むと、美希と誠に挟まれて苦い顔をしている柚子を見つけた。
 今にも、はちきれてしまいそうな、そんな顔をしていた。
 美希と誠に悪気はないのだ。柚子の気持ちを知っていたら、二人はきっと付き合ったりなんてしなかっただろう。お互いの気持ちを確かめることすら、しなかったに違いない。
 そんな二人の性格を理解して、柚子も心にしまったのだ。こんなところでぶちまけてしまえば、柚子の努力は泡になる。
「二人で食ってこいよ。コイツは俺と約束があるの」
 柚子の前に立って、二人の視線をかわす。
 ぎゅっと握り締めた二つの手のひらが、ふと緩んだのが見えた。
「前からお似合いだと思っていたのよ。二人のこと」
 柚子の背中をそのままぐいぐいと押して外に連れ出すと、背中に美希の無邪気な声が聞えた。
 知らないって事は、時々罪だな。
 いやがる柚子を追い立てて、屋上へ上がる。普段は一応立ち入り禁止だが、いつの間にか暗黙の了解で解放されている。


「あんな言い方、誤解されるでしょう?」
 そんなこといったって。と口の中で言い返す。うまい言葉を見つけるよりも、さっさと退散した方が安全だと思ったのだ。
「あんな事言われて平気なわけないでしょう?あのおかげでクラス中も誤解の渦よ!」
「お前が慌てて逃げるから、逆にそう思われるんだろうが」
 弁当の包みを引っつかむようにきびすを返したのは、お前じゃないか。
「最低ね」
 言い返そうと口を開いた時、柚子の瞳が緩んだのが見えた。じわじわと涙が溢れていくのが見えた。我慢しようと手のひらを握りしめ、けれど小さな声が出た。かみ締めるように拳を口元にあてがってはいたけれど、ついにはこらえきれずに、両手の拳で顔を覆うようにしてわんわんと泣いていた。
 かくんと、膝から崩れ落ちていく柚子の姿を、何も出来ずに見つめていた。
 声を挙げて泣く柚子を見たのは初めてだった。
 泣くのを堪えて笑っているのを見た。
 そっぽを向いて、一人で耐えているときもあった。
 けれど、一度だってこんな風に泣いたことなんてなかった。
 ・・・限界、だったのだと思う。
「気が済むまで泣けよ。お前はガマンしすぎなんだって」
「あんたなんて、あんたなんて大嫌いよ!ずっと、ずっと、そうやって見てきたんでしょう?私が失恋するの判ってて、そうやってずっと面白がって見てきたんでしょう!?」
 そうやってずっと、優しい振りして!
 柚子の言葉が、胸に突き刺さった。
 思わず柚子の肩をぐいと引き寄せる。そんな風に思ったことなんて一度もない。叶わない恋に、立ち向かっていく柚子を心の底から応援しよう、そう思って。
 お前だけは、気持ちを捨てずに持っていて欲しい。そう思って・・・。
「そんな風に思うのか!俺をそんな風に思っていたのか!」
 いわなけりゃ、伝わりっこない。そんなことは百も承知。だけど、気持ちが伝わらないってことは、こんなにも辛いなんて。
「だったら、こうなる前にどうして助けてくれなかったの?どうしてあきらめろって言ってくれなかったの?結果が見えていたのに、どうして励ましたりなんかしたのよ!」
 柚子は叫んでいた。青い空に吸い込まれそうなほど、鋭く尖った言葉を吐き出した。
 くやしかった。
 こんなことなら、さっさと言っちまえば良かったんだ。美希と誠を見て、揺れている柚子をかっさらっちまえば良かった。なんだって俺は、こんなに不器用になっちまったんだ。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ!いつもは、ずけずけと人の心に入ってくるくせに!」
 どんと突き飛ばされてよろめく。なんて厳しい目で、俺を睨み付けるんだ。
 なんだって俺は、こんな風に柚子を苦しめているんだ。
「結果が見えていたのに、あいつを好きになったのはお前だろう?あいつを想って、気持ちをしまい込むって決めたのも、あきらめきれずに、励ましてもらいたかったのも、全部お前の気持ちだろう?」
 お前の、変えられなかった気持ちだろ。
 俺が、変えられなかった気持ち・・・だろ。
「俺は・・・お前の意思を尊重したんだ。二人を傷つけたくない。でも、自分の気持ちを簡単に投げ出したくないって。それは、お前の本心だし、優しさだから」
「ずいぶんな言い方じゃない。さんざん人をからかっておいて。なにがお前の意思を尊重した、よ。自分が美希に振られるの怖かっただけじゃない!」
「違うっ!俺はずっとお前が好きだった」
「だったら、最低の優しさね。それなのにあんたはずっと私を慰めて、励ましてくれたわけ?失恋するけど、がんばれよって?啓祐、あんた惨めね。最低よ」
 突きつけられた言葉は、あまりにも痛かった。
 冗談めかしてからかった時も、皮肉を言ってわざと怒らせたときも。こんな風にきつい言葉だっただろうか。
「柚子。お前が好きだって言ってるだろう?なんでわかんないんだ!」
「・・・そんなの!!」
 びしゃり。
 目をつぶる間もなかった。ひゅんと風を切った柚子の手のひらが、スローモーションのように左頬に当たる。よけることすら出来ず、どさりとしりをつく。
 口の中が、鉄の味がする。口の端から血が零れていくのがわかった。
 ・・・なんだって、こんなことになっちまったのかな。
「・・・!!」
 柚子が息を呑むのが聞えた。俺を張り倒した手のひらを痛そうに見つめ、それから俺を見て逃げ出した。
 ばさりと髪が風に揺れた。ぽろりと、頬を伝う涙に気がついた。
 こんなとき、長い髪が涙を隠してくれるなんて、思いもよらなかった。

 本当は、何度柚子に気持ちをうち明けようと思ったか。今まで柚子を見つめてきて、何度、助けたいと思ったことか。けれど、柚子の気持ちが痛いほど判っていたから、自分の気持ちも抑えようと決めた。誠の気持ちを知っていて、柚子は誠の意思を尊重したのだ。そして、誠を好きになった美希を裏切れずにいた。
 柚子は誰よりも優しい。自分に厳しく、優しすぎるその性格が、柚子を踏み切らせなかったのかも知れない。
 いつか、柚子が自分の気持ちに整理を付ける事が出来たら、その時は自分もうち明けるつもりだった。でもそれは、必ず失恋するであろう柚子が、傷つくのを待っているのと同じだったのだ。
 俺はどこかでそれを期待していた?
 気がつくのが遅かったのかもしれない。


「悪いけど、付き合ってもらうよ」
 そういって、誠は笑った。いつになく強引な誘い方に、嫌な予感がしていた。つれられてきてみれば、校庭の花壇。そういえば入学したてのころは、ここに集まって飯を食ったっけ。クラスの分かれた俺たちが揃う、唯一の時間だった。
 ぎゃいぎゃいと騒がしい声が聞え、柚子を引きずってやってくる美希が見えた。
 はめられた。そう、思った。
 口もとの傷が、妙にうずく。
「こんないいお天気の日は、外に出た方がいいのよ。学校の、しかもとても狭いベンチでだけど、気分転換にはなると思うの」
 まるでとってつけたように美希がいって、柚子に笑いかける。
「昔みたいに、みんなで仲良くしましょうよ。ねぇ、啓祐。柚子」
「そうそう。美希の作ってきたお弁当でも食べて、仲良くやろうよ」
 美希と誠は、にこにこと笑っている。二人ともそっくりな、優しい笑顔で。
 なんだそりゃ。芝居、下手すぎるだろ。
 どうやら二人が気を使ってくれている、というのだけは伝わってくる。けれどあまりにもあからさまなその態度に、思わずあきれて笑った。
 柚子も、困ったように頬を緩めていた。
「そうね。たまには外で食べるのもいいかも」
「そうよ!柚子。無理なダイエットはいけないのよ。あなたはそのままで十分可愛いわよ」
 不思議そうな顔で、柚子は美希を見つめている。
 あぁ、そういえば。そんな風に説明したかもしれないな・・・。
「だって、柚子がご飯食べないから、すごく気にしてたのよ。そしたら、啓祐が・・・」
 ぐりんと、勢いよく柚子がこちらを振り返る。ばちんと視線がぶつかって、少々気まずい。再びぎこちない雰囲気に襲われそうなところを、誠が声を上げて振り払った。
「飲み物買ってくるよ。行こう美希」
 ・・・だから、あからさまなんだって。

「しょうがないだろ!失恋で食欲がないなんて説明できないだろうがっ」
「他に言い方があったでしょ!」
「これは俺の優しさだ。ありがたく受け取っておけよ」
 二人が席をはずした途端、何故だかいつもの調子でやりあった。
「・・・あのさ」
「・・・あのっ」
 二人同時に言葉を発して、顔を見合わせて二人同時に笑った。
「悪かったよ。あんなこと言って」
 いきなり好きだって言って。
 お前を苦しめるようなことばかり言って。
 言いたい事は山ほどある、言えないことばかりでもどかしくて、それでも一言でも謝りの言葉をいえたのは、俺の心をすっと楽にした。
 柚子の反応が怖くて、思わずふいと視線をそらしてしまう。もどかしさが、柚子に伝わっているのではないかと、内心ひやひやしてもいた。
 ところが、柚子の方も何か言いたそうにそわそわしている。そのうちに、そわそわがイライラになり、妙な殺気まで感じるようになった。
 ・・・な、なんなんだ?
 振り返ると、柚子がこちらを見ていた。じっとまっすぐ、あのゆるぎない強い瞳で。
 この瞳が好きだった。そんな風に思ったら、妙に気恥ずかしくなる。ごまかすように、髪を掻きあげながら言った。
「・・・元気、だせよな」
 覗きこんだ瞳は、いつものように穏やかだった、それがふと曇ったようになる。しんと押し黙った柚子が、また泣き出すんじゃないかと、ひやひやさせる。
 失恋をしたのだ。
 そんなすぐに立ち直ることなんて、できやしない。出来ていたら、あんなふうに泣いたりするもんか。
 何を言ってるんだ、俺は。
 その上、追い討ちを掛けるように・・・告白までしちまったんだった。
「あのさぁ」
 気にしなくていいから。
 俺の事は、とにかく気にしなくていいよ。
 不器用で、上手く伝えられそうにないから。
 もっと上手く、お前を思いやれるようになったら、その時はもう一度。
 もう一度、お前にいってもいいかな。
 その時は、いつもの笑顔で返してくれるか。
 思わず、しんみりとしてしまった自分に手を焼いていると、柚子が口元の絆創膏をぺちんと叩いた。
「痛い!なにすんだよ」
 しんみりした雰囲気が一気に吹き飛んだ。満面の笑顔で、こちらを見ている。
 あぁ、そうか。それが答か。
「へへん。参ったか」
 憎たらしい言葉を言ったその顔は、優しく笑っていた。


...fin

 

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