「 ケンカするほど…? 」

〜 スゥイート・ホリック 〜

 



 ほら始まった。いつもの、甘い声。
 もしかしたら、この人はお菓子で出来ているんじゃないだろうか?時々、ウンザリするくらいそう思う。
 がしゃがしゃとメレンゲを泡立てながら、チョコを刻みながら、ちらりと彼の様子を伺うと、嬉しそうな顔で台所の隅を行ったり来たりしている。
 もしかしたら、この人はお菓子で出来ているんじゃないだろうか?本当に、ウンザリするくらいそう思う。
 私の好きな人は、私の大嫌いな甘いお菓子で出来ている。


「さんきゅ」
 そう短く言うと、皿の上に無造作に盛られたクッキーに手を伸ばす。片づけを始めたその後ろで、皿を片手に立ったままクッキーを頬張っているのがわかる。
「ナオト、座って食べたら?」
 ん。
 短い返事は、上の空の証拠。仕事しているときに良くやる、私の大嫌いな彼の癖。
 バニラの香りの残る台所で、熱気の残るレンジ前で、ナオトはクッキー片手にそわそわ、そわそわ。クッキーを食べながら、ナオトは始終にこやかな笑顔を見せる。理屈っぽいナオトが、理屈抜きに好きなお菓子を食べながら。
 水道の音に紛れて、ナオトがざくざくとクッキーを咀嚼する小気味良い音が聞こえる。結局、私が片づけ終わるまでナオトはその場に立ったまま、皿の上のクッキーを一枚ずつ、大切そうに食べていた。
 私が紅茶を入れると、待っていましたとばかりに、そそくさとクッションを引き寄せて座る。その仕草が可愛いけれど、絶えず口に運ばれる物体が、私の機嫌を悪くしていることを、ナオトは気付いているんだろうか。
 自分が製造したお菓子だけど、それはとっても不機嫌になる元だと思う。
「・・・真由子?・・・食べない・・・よね?」
 とりあえず。といった感じでナオトが訊く。ずれてきた眼鏡を、クッキーを持ったままの手の甲で直しながら。
 答えを知っているから、変な疑問文。訊ねるようで、念を押している。
「もちろん、食べないわ。お一人でどうぞ」
 そんな嬉しそうな顔して頬張らないでよ。嬉しいからって、にじり寄ってこないで。肩を抱いてくれるのは嬉しいけど・・・ねぇ、口元に、粉砂糖が付いてるよ。
 あぁ、いまテーブルにクッキーの粉が落ちたよ。
 ねぇ、その口でキスしないで。
 甘いモノ食べたくちびるで、キスしないでってば。
「や・な・の!」 
 嫌なのよ、甘いモノッ!
 ぱちん。
 ナオトの頬に、私の手のひらがぴたんっと張り付く。冗談だけど、結構本気だからね。
 ・・・もうっ。口元に粉砂糖付けたまま、怒らないでよ。


 ナオトは甘いものが好きだ。甘いもの。ならなんでも良くて、それこそ粉砂糖からサトウキビまで。ナオトの甘いもの好きには、頭が下がる。
 彼の言うことには、甘いものは脳の回転を良くするらしい。パソコンに向かったままの仕事は、ストレスがたまるし疲れるのだそう。
 だから私は、そんな彼のために毎日毎日、せっせとお菓子を作る。だいっきらいな、甘いお菓子。
 ナオトは甘いモノが好きだ。甘いささやき。なんていうのも、ナオトの得意技。おねだりするときは、いつも甘い声を出す。二人きりでいるとき、耳元でささやくとき。そして・・・甘いものが食べたいときに。
 気持ちが悪いとは思わない、大好きなナオトの声だから。だけど、ナオトの好きな甘いお菓子を、好きになることは出来ないと思う。
「ねぇ、もうすぐお茶の時間にしようよ」
 ねぇ、真由子。今日はクッキーが食べたいよ。
 そそくさと、エプロン片手に台所に向かう自分が、何だかとっても惨めで、情けなくて、でもそんないじらしい自分が、本当は少しだけ好きだ。
 甘いお菓子は苦手だけど、本を読んで研究した。味見だって、一度もしたことがないけれど(味見はもちろんナオトの役目)ナオトが満足そうに食べてくれるから、私の作るお菓子はレシピ通りのお菓子に違いない。
 レシピ通りのおいしさで、ナオトを幸せにしているに違いない。それなら、それで十分だと思う。

 私は、甘いものが大嫌い。ガムやキャンディの甘さ程度なら、なんとか大丈夫。煮物の甘さ程度ならなんとか大丈夫。
 でも、お菓子となると話は変わってくる。私の生活には、お菓子は必要ない。
 ナオトは必要だけど、お菓子は必要ない。ナオトの眼鏡はあまり必要とは思わないけれど、ナオトのおやつはとても必要。
 だから、何だか難しい。
 初めてナオトにお菓子を作ったときは、死ぬほど苦労した。味見をすることが出来ないから、とにかく不安だった。レシピ通り作ったって、まずいモノはまずいし。ナオトの口に合わないかも知れないし。
 台所で、むせ返るほど甘ったるい匂いに包まれながら、必死で生クリームを泡立てた。バニラエッセンスも、ドライチェリーも、私には毒薬だ。
 それを美味しそうに頬張るナオトの顔は、解毒剤になる。
 あぁ、私って中毒。
 ダメだとわかっていても、嫌いだとわかっていても、せっせとお菓子を作る。ナオトの喜ぶ顔が見たくて、お菓子を作る。
 スウィートホリック。
 甘いモノ中毒だわ。
 

 甘いものが嫌いなのは、何も特別変な事じゃないと思う。
 女の子は甘いものが好きだ。というのは、世間が勝手に決めたイメージであって、それに当てはならない人間がいたって、別に変じゃない。だって、私は嫌いだから。だから、世間が勝手に決めたイメージである、男の人は甘いものをあまり好まない。というのに、ナオトが当てはまらないとしても、変じゃない。
「ダイエットしてるの?」
 甘いものを断ると、決まってそう返ってくる。
 ナオトと私の場合も、そうだった。
 それもまた、世間が勝手に決めたイメージのひとつで、それに当てはまらない私がいたって、間違いじゃない。
 だから、こう言った。
「男の人が甘いもの好きなんて、ちょっと不愉快」
 初デートで、会って数分で、私達は初の大ゲンカをした。
 とりあえず、お茶でも飲もうかと入った喫茶店で、メニューを開いたまま大ゲンカ。ケンカの根っこは、ナオトが紅茶と一緒に頼もうとした、ガトーショコラ。
 私達のケンカは、いつもちょっと大げさすぎる。この間の眼鏡でケンカしたときもそうだけど、お互いどうしてそんなに大きくなるのかわからない。
 あの時は初デートだったのに、初デート五分後だったのに、別れるって事になったくらい。
 私達は、バカだと思う。ガトーショコラひとつで、別れるかも知れない二人。
 そんな関係が何だか面白くて、私はケンカをふっかける。
 そんなくだらない理由でケンカして、くだらない理由で仲直りして、そういうことを繰り返せる二人だから、これからもずっと一緒にいたいと思う。
 だから。
 私は甘いものが嫌いだと、言ってもいい。
 砂糖が付いたままのキスを、断ってもいい。
 ナオトは。
 断られても仕方がない。
 言われても仕方がない。
 私達は、そんなくだらないことで、ケンカしても良い。


 ケンカするほど仲がいいって、そう言うんですって。



 あとがき

 

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