「 サクラ サクラ 」
桜の花びらが風に乗ってふうわりとなびく、穏やかな朝だった。 英之は歩いていた。学校近くのバスを降りると、学校まで一直線のこの道を逆向きに。 バスから降りてくる同じ制服の生徒達をかき分けるようにして、流れの外に出ると学校を背に歩きだす。 英之の通う学校は、県内でも進学校のひとつである。それゆえ、学業においては厳しいが、それ以外のことに関しては学校側も甘い。進学校でありながら、運動部が有名なのも、数々の変った文化部が存在するのも。そして、校則が緩いのも。 昨日、終業式を終えて春休みに入ったはずなのに、普段と変らない流れがここにあるのも、校風といえばそうである。春休みの半分は補習が行われる。参加は生徒の自主性に任されているのだが、受験を控えた今年三年になる生徒のほとんどは、出席することとなる。けして強制などない。ついていけなければ、容赦なく置いていかれるだけなのだ。受験とはそういうものだ。 もちろん、春休みになってもいつもと同じようにこのバスでここへやってきた英之もまた、受験を控えた大事な時期の三年生になるのだ。 派手なTシャツを春風になびかせながら、英之は坂道を登っていく。かろうじて制服のズボンを着用しているという、それだけで視線を集めてしまいそうな英之の風体もまた、彼の通う学校の中では許されてしまうのだ。 けして不良ではないが、優等生でもない。それが英之であった。 ズボンの中で、携帯が着信を知らせる振動を響かせていていた。 「おい。英之!どこいくんだよ」 携帯の向こうで、春日が怒鳴り散らす。 ため息をついて、英之は足を止めるとちらりと後方の学校を振り返る。どうやら、英之がバスを降りてまっすぐ逆方向へ足を進めたのを、どこからか見かけたのだろう。 「あー。まだ朝メシ食ってねぇ」 目指すは丘の上のサンドウィッチショップだったのだが、英之の足は目前にして止まっている。 「はぁ?朝メシ?」 携帯の向こうで、春日が素っ頓狂な声を上げている。 パンの焼けるいい匂いが、風に乗って英之の鼻腔に届く。挽き立てのコーヒー豆の香ばしい香りも。 「メシ食ったら行くから、テキトー言っといて」 歩を進めながら、英之はため息をつく。 「・・・なんだよ、てめぇ。・・・オレぶんも」 「・・・アホ」 英之の隣で春日がサンドウィッチを頬張っている。 「やっぱり、ここのローストビーフサンド、最高だよな」 結局、二人揃って一時間目の補習を抜けて、サンドウィッチを頬張ることになった。隣で自分よりもがっついている春日を見て、英之はため息をつく。 テイクアウトしたホットコーヒーのカップを口元に運びながら、英之はのんびりとサンドウィッチを食べる。隣に無造作に放り出された春日の細い足首と、形の良い膝に英之が見とれていると、ふうわりと花びらが降りてきた。 春日の白い素肌に溶けていきそうな、淡い桜色の花びらだった。それをそっと英之がつまみ上げると、春日がぽいと捨てた。 「ごみじゃん」 「・・・おい、春日。お前も女なら、花びらとごみの区別くらいつけろ」 桜だ、桜。 英之が忌々しげにいい、風の流れてくる方向へ顔を向ける。フェンスの向こう、建物の影から桜がちらりと見えていた。周りの建物に隠れてこの位置からは桜がほとんど見えないが、風に乗って花びらが舞い降りてくる。 四月を前に、暖かな日だった。 「オレ、興味ないから」 そういって春日は気にするでもなく、ばさりばさりとスカートを持ち上げて、パンくずを払う。 「・・・女だろ。少しは気にしろよ」 スカートがひらりとめくり上がるたびに、白い太ももが見え隠れする。英之が左腕を差し出して、その動きを止めた。 「別に。おまえに見えたって構わないじゃないか」 「あぁ、構わないさ。むしろ大歓迎だけど」 そういって、丁寧に春日のスカートを払う。英之にそれをまかせて、春日はコーヒーをすする。 「オレは男じゃない」 ぼそりと春日は言う。 言葉の意味を図りかねて、英之はまじまじと春日を見つめる。 そんなことはわかっている。自分の恋人は乱雑で言葉遣いに少々難はあるが、女であることくらいきちんと理解している。 春日の切れ長でキツく見える瞳が、英之に視線を合わせた。その視線に押されるように、英之はつぶやく。 「もう少し、女らしくすればいい」 「らしく。ってなんだよ。そういう女の方が、好きか?」 英之の視線をそらさずに、じっと見つめながら春日は言った。まっすぐに刺すように強い、ゆるぎない視線が英之の心を揺さぶる。 恋をしたのは、この瞳だった。 「悪い。言い過ぎた」 英之は諦めたように視線をそらした。 春日がどんな理由があってこんな風に男っぽいのか。そんな事を気にして好きになったわけじゃない。女らしい女が好きなら、最初から好きになんてなりはしない。 だからこそ、春日を否定するような言動をした自分に非がある。女だろと、周りから言われなければ自分の性を忘れてしまう。そんなバカな人間はいないのだ。 "らしい"とか、"らしく"とか。そんなこと、必要ないのだ。 春日は自分に正直なだけだ。自分は女と理解し、それを否定した生き方をしているわけではないのだから。 「オレはオレだよ。性別があって、それが男と女って分けてるだけでさ。それだけでいいじゃん。らしくある必要なんてない」 飲み終わったコーヒーのカップをぐしゃりと握りつぶして、春日は言った。 春日の言い分はわかる。そして、自分自身でもそうだと納得している。けれど、英之は時折自分が接しているのが、友達なのか恋人なのかふいに分からなくなってしまうことがある。 春日はこの通り、男っぽい女だから。 クラスの中には、女の色気を内に秘めた女子がいる。それらと比べたら雲泥の差だ。 自分が男らしくあろうとする時に、隣にいる春日の方が男らしく見えたら。そんな救われない瞬間なんて、考えられない。自分が男なのだと、意識しなおさなければいけないことが、春日と一緒にいると多い。 あぁ。自分も男らしくあろうと。春日よりも、そうなろうと。無駄な意識を持っていたのか。 英之はふと思う。 「オレだって、ごみと花の区別くらいつくさ」 そういって、春日は芝生の上に降り注ぐ桜の花びらをひろい上げた。 「だけどさ、花ってのは咲いているのが花なんだよ。散ったら終わりなんだ」 悲しい言葉だと英之は思っていた。 現実はそうだ。咲き乱れた桜を、皆崇めるように見に出かける。その一方で、散った花びらは掃き集めるのだ。枯れてしまえば、散ってしまえば、花としての人生は終わってしまう。 春日は細い指で足元の芝生をごっそり持ち上げる。驚く英之を尻目に、黙ってその下の土を掘り返し始めた。 スカートのすそが泥だらけになるのを、気にもしないで。 そしてひとしきり穴を掘ると、今度は桜の花びらを拾い集め、その穴に埋めた。 「咲き乱れる命と、土に還る骸。でも同じ花だ」 華奢な身体も、乱暴な言葉も。それが春日なのだ。 ぽんぽんと、埋めた場所を手のひらで整える春日。盛り上がったそこに芝生をちょこんと載せた。 春日の手を取ると、英之はその泥だらけの手のひらを払う。 「オレも、他の子と一緒の花だと思う?」 じっと英之を覗き込む瞳が、小さく揺れていた。 「おまえ以外、花なんていらねぇよ」 英之は春日を芝生の上に押し倒した。こんな風に押し倒したら、この小さな身体は女なのだと思う。 細い腕も、小さな膨らんだ胸も。白いふくよかな太ももも。 「英之!やめろよ」 ・・・学校だよ。 ぽつりと春日は付け足した。 その反応に英之はおかしくなって、春日の横にごろりと寝転がった。 「じゃぁ、続きは別の場所でやるか」 「英之のバカ!」 顔を真っ赤にして春日は英之を突き飛ばす。 ごろりと芝生の上を転びながら、英之は笑った。 春風が、桜の花びらを運んでいた。 穏やかな、春の朝だった。 |