『 "紙一重"の鈍感 』

 




「タケハラクン」
 昼休み、パンを抱えて教室へ向かう廊下で思わぬ人に出会った。
 今、一番避けたいと思っていた人物だったので、思わず身構えた。一瞬、健太の顔がかすめ、なぜだか後ろめたい気分になる。
 その人は、二人の間に漂うぎこちなさに息をつき、「ちょっといい?」とつぶやいた。

 渡り廊下では相変わらず賑やかな声が聞こえていた。賑やかさに紛れ微かに放送が耳に届く。聞き覚えのある曲が耳をかすめ、思わず耳を澄ます。
「この曲、好きなの?」
 食堂に続く渡り廊下の階段に座ると、彼女は並んで隣に座り一緒に耳を澄ました。
「私のデータに、タケハラクンがクラッシック好きなんて無かったけど?・・・情報屋も最近質が落ちたのねぇ」
 その言葉に耳を疑う。
 人の情報を集めて商売している?そんな奴が校内にいるのかと思うと、ぞっとする。
「・・・湖東先輩、あなたはそういう事までしてたんですか?」
 嫌悪感が思わず声に出た。すると彼女はなんてことないといった感じに反論する。
「あら?構わないじゃない。新入生チェックに余念がない部活もあれば、好きな人のデータを集める人もいるわよ。あらゆるニーズに対応してくれるから、とても便利よ」
「便利・・・。プライバシーも何もないですね」
 彼女は、やれやれと首を振り「あのね」と強い口調で言った。
「ストーカーじゃないんだから、プライバシーを侵害したりはしないわよ。クラスはどこだとか、好みのタイプはどんな人か。なんてその程度」
 他愛もないでしょう?
 そう平然と言った。・・・女は怖い。
「それで、何が分かるんですか?俺はそんな情報漏らした覚えはないですよ」
 彼女は、ちょっと困った顔をして言った。
「あなたの情報を集めて貰うのって苦労したのよ。確かに、あなたは学校内では結構有名でしょうけど、詳しいところまで知ってる人ってなかなかいなくて。だから、ケンタから何か聞けるかと思って待ち伏せしたりもしたんだけど・・・」
 笑って、苦労話をしてみせる。
「わからない」
 どうして、そう必死になれるんだろうか?
 彼女も、・・・それから健太も。
「鈍感。まるで女心がわかってないのね。好きだからに決まってるじゃない」
 バカじゃないの?
 冷たい一言が、耳に届き思わず「うっ」と詰まる。
 ・・・昨日に続き思わぬ襲撃。だった。
「好きな人、いないの?」
 彼女のからかうような声が隣から聞こえてくる。
「・・・いない。でしょうね、その様子じゃ」
 はっきりと決めつけて、彼女はすこし得意げに言った。
「私って、そういうの分かっちゃうのよね。敏感なのかしら?」
 そこで、思わず抱えていたパンを落としかけた。
 ・・・うそだろ?敏感どころか、とんでもない鈍感じゃないか!
 この様子じゃ、健太も苦労するわけだ。
 ・・・昨日の出来事が全てを物語っている。
「好きな人が出来ればわかるわよ。人の気持ちに敏感になるし」
「・・・あの。それ本気で言ってます?」
 思わず彼女の方を振り返って、その無邪気な目をのぞき込んでいった。
「やっとこっちを向いた。ふられてもまだ嬉しいものなのね」
 見つめられると。
 嬉しそうに彼女は言い、その言葉に困惑する。
 なんだか、嫌な雰囲気になってきたので慌てて切り返す。
「で、一体何ですか?」
 貴重な昼休みをわざわざ削ってまで、あなたに付き合わなければいけない理由は?
「ずいぶんな言い方。相変わらず冷たいのね。・・・あーあ。なんでこんな男好きになったのかしら?湖東美咲。一生の不覚ね」
 ・・・ずいぶんな言い方はどっちなんだ。
「でもねぇ・・・やっぱり好きなのよね。こうして隣にいるとシアワセだもん」
 ニコニコ笑ってそう言う彼女が、素直なのか、ただ単純なのかわからない。
 それとも、彼女の言うように好きな人でもできれば、その気持ちが分かるというのだろうか?
 ぼんやりと考えの中に沈んでいると、隣で大きなため息をつかれた。
「実は、相談事なんだけど」
 彼女の声がぼんやりと通りすぎていく。
 健太にも、彼女にも同じ事を問いかけられた。俺は恋愛に鈍感なのだろうか?
「ちょっと、何考え事してるの?・・・私だって気乗りしないのよ。ふられた男に相談なんて」
 プライドの問題よ。
 少し笑い、それから少し淋しそうに彼女は言った。
 気乗りしないなら、声なんてかけなければいいじゃないか。
「・・・人の話を聞きなさい」
 声にかなりの割合で怒りを含んでいたので、仕方なく考えを中断して顔を上げると、こちらを見つめている彼女の視線とぶつかった。
「で、相談ってなんですか?」
 視線を逸らして言うと、少し残念そうな顔をして彼女はつぶやいた。
「実はケンタのことなんだけど・・・」
 真剣な表情で、そう切り出した。

 恋のキューピッドをやるって張り切ってるのよ。
 ホントは、とっくにキミに振られちゃってるんだけどね。
 まだ諦めきれない私としては、すごく嬉しいんだけど・・・?
「最近のケンタ、なんか変じゃない?元気ないみたいだし・・・心配なの」
 彼女はそう言って、ため息をついた。
 その言葉を聞いて、倍のため息をついたのは言うまでもない。
 好きだから、それだけ必死なんじゃないか。
 あなたのことが、とても好きだから。
 つい昨日の出来事を思い出して、思わずため息をつく。
 健太、あんなに必死だったのに。
「あの。俺が言うのも変なんですが、健太の気持ちに気づいてます?」
 あなたも、相当鈍感ですよね。
 目を丸くして、彼女は驚いていた。
 ・・・そして、彼女が後悔に苛まれたのは言うまでもない。



 それは、昨日の出来事だった。

「頼む。一度でいいんだ、一度でいいからきちんと会って話しを聞いてあげて欲しいんだ。ミサキさんはすごくいい人だよ。美人だし、頭もいいんだ。竹原が忙しいって事は判ってるよ、掃除もクラスの仕事も全部引き受けるから、とにかく会って話を聞いてあげてくれないかな」
 そう言って健太はぺこりと頭を下げた。
 放課後、クラス中が開放感でにぎやかな中、健太はそう切り出した。
「悪いけど」
 断るしかなかった。
 やたらに嘘をつけば傷つくのは健太自身だし、それを本人も知っているはずだった。だからこそ、健太は頭を下げて頼んでいるのだ。その真剣な気持ちに対して、期待をもたせるようなことを言うのは酷だと感じていた。
 なぜなら、健太の言うその人とは、健太がずっと想っている人だからだ。彼女を追いかけてここに入ったという話も、廊下でちらっと彼女を見つけては喜んでいる姿も、知っていたからだ。
 その彼女に、会って欲しいという。
 しかも、自分はその彼女から数日前に告白され、断っている。
 どうしていいのかわからず、バッグを片手に席を立つと健太が顔を上げた。
「どうしても、ダメか?」
 それを無視して背を向けて歩き出すと、健太がバッグを掴んで引き留めた。
「・・・逃げるなよ」
 思わず、ぴくりと眉が動いた。
「・・・逃げる?俺が逃げてるって?聞き捨てならないな」
「逃げてるから、逃げてるって言っただけだ」
 ぐっとこちらを見つめる、強い視線に押されそうになった。
 思わぬ襲撃を食らって、苛立ちを隠せず手に取ったバッグを勢いよく机に戻した。がたんと大きな音を立てて、その音にクラス中が何事かと振り返った。
「ずいぶんな言い方だな。俺に頼み事してたんじゃないのか?」
 今までにない強気な態度の健太に、どう対応して良いのか本心では掴みかねていた。だが、混乱している自分が負けてしまったような気がして、思わず強く言ってしまった。
「別に構わないじゃないか、会って話を聞くだけなんだから。それさえ出来ないなんて、僕に何か隠してるの?後ろめたい何かがあるんじゃないの?それから逃げてるんじゃないの?」
 本当に、思わぬ襲撃だった。のほほんとした顔で、割とするどい事を言う。
 最悪だな。
 クラス中の視線を集めて、あげく言われ放題だ。興味本位な視線が痛いほど突き刺さる。
 「とうとうやったぞ」どこかでそう聞こえた。「いつかやると思ってたんだ」とも。口々にささやかれる言葉に、ため息が出る。
 健太はとてもわかりやすい性格だ。おかげで、健太が好きな人が誰なのかすぐに分かった。クラスの大半の人間にも。そして、噂好きの誰かが仕入れてきた情報で、その彼女が俺のことが好きなのだと広まった。
 あっという間に三角関係の出来上がり。
 クラス中の話題の種にされ、挙げ句、今は会ったこともない女を取り合ってケンカしていると思われている。
 本当に、最悪だった。
「・・・会って話をしたいのはお前の方じゃないのか?そのくせ、いい奴ぶって俺に行けって?どっちが逃げてるんだよ」
 思わず、強い口調で言い返してしまう。
 健太はムッとした顔で、こちらを睨んでいる。
「サイテーだよ!竹原のバカ。人の気持ちなんて少しもわからないんだ。僕の気持ちも、彼女の気持ちも。・・・竹原の冷血漢」
 健太の気持ちはわかっている。だけど、どうして健太がそんなことを頼むのかがわからない。
 ・・・健太がどうしたいのか、さっぱりわからない。
「おまえ、ホントはどうしたいんだよ」
 健太は黙っている。しばらくそのまま沈黙が続く。嫌な雰囲気が広がり、居心地が悪い。
 ・・・俺は悪者か?
 クラスの視線を気にしながら、健太を教室の外へ連れ出した。廊下に出ると、落ち着いたのか健太がいつもの表情を取り戻していた。
「冷静に話せると思ったんだ。失恋して少しは大人になったつもりだったんだけど・・・」
 竹原、冷たいんだもんなぁ。
 苦笑いをする健太に、つられて苦笑いをする。
「本気で殴ろうかと思ったよ」
 健太は握り拳を作ってみせた。
「・・・じゃぁさ、一発、殴っておくか?『後ろめたい何か』に心当たりがあるからな」
 驚いて健太は顔を上げる。
「・・・当たってたんだ」
 ・・・おい。当てずっぽうだったのかよ。こっちはひやひやしたっていうのに?
 健太は明るい表情を取り戻すと、もう一度頼んだ。
「ミサキさんのこと考えて欲しいんだ」
 本当のことを言ってしまおうかと思った。口止めされていたけれど。
 実は、数日前その彼女を振ったんだと。
 それにしても、何が健太にそこまでさせるのだろうか?
 健太の気持ちを知っているから、健太の行動の意味が理解できない。
「なぁ、お前その人のこと好きなんだろう?どうしてそんな事出来るんだ?」
 健太はちょっとふてくされた表情でこちらを見ると、「しょうがないんだ」とつぶやいた。
「だって、好きだからさ」
 健太ははっきりとそう言った。
「好きだから力になりたいと思った。それだけ」
 健太の表情は明るい。だが、そんなに晴れやかな表情でそう言えてしまう健太の気持ちがわからないでいる。
 困惑した表情を読み取ってか、健太は笑っていった。
「竹原って、以外に鈍感?」
 思わず「うっ」と返す言葉に詰まる。
 健太にそれを言われると、何故かひどく腹立たしい。
「好きな人ができれば分かるよきっと」
 いつも通りの健太が、いつもののほほんとした表情で言うから、悔しい。
「頭のいい竹原にも弱点があったんだ」
 得意げにそういう健太の態度が、やけに気にくわない。
「・・・大きな御世話だ。それより、お前の方はどうなんだよ」
 ちゃんと告白したのか?
 健太は少し悲しそうな顔をして笑った。
「別にいいんだ。側にいたいと思ったけど、一緒にいるとひどく緊張して逆に辛いんだ。だから、別にいい。・・・それにさ、言わないでって言われちゃったし」
 健太の言うことがいまいちわからない。
 本当に、鈍感なのかも知れないと実感した。
「それに、相手が竹原なら構わないよ。・・・ただ、竹原は性格に問題がありそうだけど」 
 言いながらげらげらと笑い、こちらを見ている。
 笑われた本人としては、かなり複雑だった。
「とにかく、僕の役目は彼女に竹原を紹介すること。彼女に約束しちゃったんだもん、恋のキューピッド役をかって出た僕の顔を立てると思って、付き合ってくれよ」
 どんな気持ちで、約束してきたのだろうか?
 どんな顔で、彼女に会っていたのだろうか?
 健太の気持ちを考えると、複雑だ。
「彼女、お前のことには気づかないのか?」
 それにしても彼女、あまりに鈍感すぎると思う。気づいても良いと思うんだけど・・・?
 こんなにわかりやすい性格の奴って、そうそういない。なにせ、クラス中にまで分かってしまうくらいに騒いでいたんだから、本人が気づかないはず無いと思うんだけど?
 それなのに、健太の気持ちに気づかないなんて・・・?
「彼女・・・鈍感か?」
 ため息をついて言うと、健太は苦笑いしていった。
「たぶん。竹原以上にね」


 昨日の出来事を振り返っていた。
 健太が格好良く見えた。が、同時に底抜けにお人好しにも思えた。
 隣ではショックを引きずったまま、美咲さんが考え込んでいる。
「・・・私、ケンタにひどいことしちゃった。結局、私も鈍感だったのね」
 そうつぶやく彼女にかける言葉がなかった。
 昼休み終了のチャイムが鳴り、どちらからともなくその場を離れた。


「悪く言えば鈍感だろうけど、ミサキさんの気持ちも分かるんだ」
 一部始終を話して聞かせると、健太は、いつもの笑顔でそう言った。
「好きだからその人だけしか見えなくて、他が見えなくなる事ってあるよ」
 竹原にはわからないだろうけど。
 健太の得意げな顔が、憎らしい。だが、図星なので何も言えない。
「紙一重なんだね」
 人の気持ちってさ。
 つぶやいた健太の言葉が、やたらと重かった。
「失恋して、大人になったと思わない?」
 なぜこんなにも得意げな表情をするんだろうか?
「竹原に負けてばっかりだったからさ、勝てる何かがあるのかと思うと嬉しくって」
 ニコニコと笑って言うので、くやしくなった。
「お前は俺に勝てないよ。・・・数学の課題、誰のを写して提出するんだっけ?」
 うげ。
 短くつぶやいて、健太は青ざめた。
 これ以上、健太には負けたくないと思った。
 あれだけ鈍感とバカにされたんだから、これくらいはいいよな?
「ひどいよ、竹原ぁ。助けてぇ」

 鈍感だから、気づかなかったことにする。



あとがき

 

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