『優しい気持ち - 柚子編 - 』
廊下の窓からぼんやり外を眺めていると、視界がぼやけていくのが判る。一人でいると切なさがこみ上げてくる。 こんなとき一人は辛い。でも誰かと一緒も辛いと思う。 わがままなのかな?そう思うけど、親友にだって見せられない涙がある。 見せられない気持ちがある。 私には中学で出会った最高の友人達がいる。五十嵐美希。佐伯誠。神崎啓祐。私達四人は、みんなとても仲が良かった。 そして、私にとっては衝撃の、二人には嬉しい報告をしてくれた。 美希と誠が、めでたく・・・恋人同士になりました。・・・めでたし、めでたし。 私はぎこちなく笑って、自分の中からかき集めたありったけの優しい気持ちで告げた。 「おめでとう。良かったね二人とも」 「片瀬柚子は、失恋で再起不能なんだって?」 ぼんやり外を眺めていた私に、皮肉げにそう言って誰かか肩を叩いた。昼休みの静かな廊下に、私は居場所を求めてやって来ていた。 理由は・・・辛いからだ。 「昼飯食わずに、なにぼんやりしてんだ」 気まずさに耐えかねて、ここ数日、何かと理由を付けてはお昼をとらずに教室を出ていた。毎日美希が誠の分のお弁当を作ってきているのを知っているから。二人の仲のいい姿を見ながら一緒に食事がとれるほど、私の気持ちは整理できていない。 声の主は私の隣に立つと、私の気持ちにつき合うかのように、わざと深くため息をついた。 神崎啓祐。意地悪で、皮肉屋で、今の私の良き・・・いや、最悪の理解者。 啓祐は肩まで伸ばした長い髪をかきあげて私を見つめた。皮肉な言葉の割に、私を見つめる瞳はとても優しかった。 「美希が心配してた。自分らが付き合い始めてから、柚子がよそよそしいてさ。言わないって決めたなら、最後まで気づかれるなよ。余計な優しさを振る舞うつもりなら、最後までやり通せ」 お前のは優しさと言うより、ただのエゴだと俺は思うけどね。 啓祐はそう付け足して、長い足を持て余すように曲げると、隣の壁にとんっと寄りかかった。にやりと意地悪く笑って。 啓祐は私を責めているんだと、すぐに判った。 自分の気持ちをうち明けないと決めたこと。決めたのにこうしてまだぐずぐず未練を引きずっていることを。 「ずいぶんな言い方ね。わざと?」 啓祐の言葉に、心が切り裂かれるような気がした。 なんて・・・なんて直球で、啓祐は人の心に飛び込んで来るんだろう?容赦ない追求で。誰にも気づかれないようにと、注意を払ってきたのに、啓祐には見破られてしまった。人が隠そうとした涙も、気持ちも、啓祐にはかなわない。全て啓祐の皮肉になってしまう。 啓祐は長身の背を窮屈そうにかがめて、私をのぞき込んだ。 啓祐はよくそうして人を見つめる。柔らかい眼差しで注意深く相手を伺い、のぞきこんだ瞳から相手を理解しようとする啓祐の真摯な気持ちが伝わってくる。 その優しさに対抗するように、私は皮肉でいっぱいになってしまうのだけど・・・。 「そっちこそ。俺は二人を祝福してるんだぜ。お前もそう思ってるんだろ?」 「・・・・さぁね」 その優しい瞳にのぞき込まれて、気持ちを隠すように視線を逸らした。すると、啓祐が私の肩を掴んで揺さぶった。 「そう思え」 いつになく強い口調で、啓祐は言った。返事が出来なくて私はまた目を逸らし、話題も逸らした。 「・・・あ、あんたと話していると、見下されているみたいで嫌だわ!」 「お前を見下す?まさか。そんな下品なことしないぜ。それをいうなら"見透かされてる"だろ?」 笑い声と、その割に真剣な響きの声にどきりとして顔を逸らす。 啓祐は苦手だ。今、あの二人の次に会いたくないくらい。 ・・・私の気持ちを知られてしまったから。 そんな私の気持ちが手に取るように判るのだろうか。啓祐は瞳の奥でこちらを笑っている。 「最低ね。ざまあみろって思ってるんでしょう?」 「随分荒れてるな、柚子。やっぱりショックだったのか」 わかってたんだろう?こうなるの。 啓祐の言葉に、私はひどく憂鬱だった。 そう。最初からわかっていた結果だ。なのに、こんなに辛いなんて・・・。 更に落ち込むと、いきなり隣から腕が伸びてきて私の髪をぐしゃぐしゃとすごい力でかき混ぜる。 「髪・・・切るのか?」 失恋=髪を切る。という啓祐の単純な考えに、思わず笑いながら啓祐の手を払った。 「これ以上短くできないわよ」 私は一度も伸ばしたことのない襟足に触れた。 「コンプレックスか・・・。ホント、お前はコンプレックスの塊みたいなヤツだな」 私の仕草に気がついたのか、皮肉げに言って啓祐は私の短い襟足に触れた。その時、啓祐の肩までの長い髪がさらりと肩に落ち、私はそれがうらやましくて仕方がなかった。 何て似合うんだろう?男のくせに。ちょっと、ジェラシー。だわ。 私の視線に困ったように笑って、啓祐は言った。 「伸ばせばいいだろ。意外に似合うかも知れない」 「慰めてるの?まいったわ。ホント、あんたにはなんでもかんでもお見通しなのね」 あの二人のことも、ずっと隠していた私の気持ちも。 「いや。何でもって訳じゃないさ。お前のことは特にわかるってこと」 「私が単純だからっていいたいの?」 啓祐は私の瞳をのぞき込んで、それから注意深く私の反応を伺うように言った。 「お前が好きだからさ」 ・・・がつんっ。 気がついたら右手はぎゅっと拳を握っていて、思いっきり強く啓祐を殴っていた。 「いくら何でも"ぐー"で殴るなよ。女なら平手までにしろ。可愛げがない」 啓祐はさっきと変わらない、あの皮肉に満ちた表情で殴られた頬をさすっている。 「バカにしてるの?いい気なものね。あんた美希が好きだったんじゃないの?」 啓祐は細い目をぐっと見開いて、信じられないと言った感じに肩をすくめて言った。 「・・・お前って、ホント単純で・・・バカ。かもな」 思わず力の入った拳を掲げると、それをひょいと軽くかわして、背中越しに手を振りながら去っていった。皮肉も忘れずに置いて。 「元気出せよ!おバカさん」 啓祐は苦手だ。 何でも私のことをわかってしまう。その上で先回りして皮肉を言ったり、時には予想外に優しくしたりするから苦手だ。自分さえ気がつかない気持ちを、すっぱり目の前で解剖して見せつける。そうして、すっかり私の気持ちを理解して(いるつもりらしいが)慰めたり、励ましたりするのだ。啓祐らしい皮肉を混ぜて。 これは啓祐の独特の優しさなのだと私は知っている。でも、私は優しくされるのが苦手だ。優しい言葉をかけられると、気持ちが弱くなって泣きたくなる。強く、強くならなきゃいけない。そうずっと思い続けてきた。私は美希みたいに素直に泣けないから。素直に優しさに応えられないから。美希みたいに・・・。 ・・・いつからだろう、美希に対してコンプレックスの塊になったのは。 ・・・とても複雑だけれど。美希のことがとても好きで、とても・・・嫌いだ。 美希が誠を好きになる以前から、私は誠が好きだった。 でも気がつくと、私が誠を好きになる前から、誠は美希が好きだったのだ。 啓祐はそれを知っている。ずっと一部始終を見ていた。美希の知らない誠の気持ちも、誠の知らない美希の気持ち。そして、二人が知らない私の気持ちを。 「ややこしいことはゴメンだからな」 そう皮肉っぽくそう言ったきり、啓祐はこの状態を胸にしまったようだ。傍観者を気取って時折私をからかったりしたけれど、私達の問題を特にどうするわけでもなく、私達と時間とにゆだねてくれた。 誠に恋をしたはじまりが、いつだったのか良く覚えていない。気がついたら、誠しか見えなくなっていた。心の中の大部分を誠の存在が占めていて、時に苦しくなるくらい、私を占拠した。 眼鏡の奥の知的な瞳をきらきら輝かせて大好きな歴史の話をするときも、几帳面にノートを取る横顔も、時々、友達以上の視線で美希を追いかけているときも、全部大好きだった。 私以外に向けられる気持ちも、視線も、まとめて全部。 誠はとても優しくて、私にも美希にも平等に優しかった。優しくされることが照れくさくて、居心地が悪くて・・・。でも、とても嬉しかった。私が誤解してしまうくらいに、誠は優しかった。 そんな誠のストレートな優しさよりも、皮肉に隠れた啓祐の優しさの方が気が楽だった。それが私に合っていたのか、時々気持ちに負けそうなとき、啓祐の皮肉が聞きたくなる。 ・・・でも今日のは、優しさと言うより突き放された感じがして、余計に切なくなった。 next to 2.... |