59.凡庸
4月18日。
今日で五十九日目。
平々凡々で、ありきたりで、ありふれた毎日を送ってる。
気が付けば繰り返しの日常で、日記なんて掛けないくらい、何にも無い。
考えてみれば刺激的なことなんて、指折り数えても何一つ思い当たらない。
あ・・・。この日記を書くきっかけになった出来事は、ある意味刺激的かな?
私の中では、特筆すべきことかもしれない。
でも、それ以外は。やっぱり平々凡々な日常と、平均的平凡な私。
私自身が凡庸だから、日常もそうなのかもしれないけど。
だからって、ドラマみたいな毎日だったら、くたびれちゃう気もするしね。
我が儘なのかな?それとも贅沢?
平凡な毎日が、何よりかけがえのないモノだって、なかなか気が付かないよね。
ニュースで飛び込んでくる世界の情勢なんて、関係のない所に住んでいて。
目が覚めて新しい一日を過ごして、布団に入って一日を締めるの。
こういう普通で当たり前な事が出来ない人だっているんだよね。
世界のどこかではさ、私みたいな生き方をしたいと思っている人はいるんだよね。
何もないけれど、起きて、ご飯を食べて。仕事をして、布団で眠るっていう。
それをふと考えて、実はすごい平和なんじゃないかって思ったよ。
それに気が付かないから、平凡だ。ありきたりだ。ありふれてるって思うんだ。
それって、エゴかな?世界が狭い証拠?
それをね、今日安原の電話の時に言ってみたの。
そうしたらあいつ、なんて言ったと思う?
「お前にはオレが居るだろ?それで十分刺激的じゃん」てさ。
なに自惚れてるんだろ、コイツ。って大爆笑。
でもね、よくよく聞いてみると。割と納得出来るんだよね。
自分以外の誰かと過ごす時間。それって、ある意味刺激なんだよね。
自分じゃない誰かが干渉してくることも、自分一人じゃ見えないことも、感じないこともさ。
たまにはいいこと言うじゃんって、ちょっと尊敬した。