〜後編〜
その後、ボスに連れられて食事をした。人間にとってはとてもぜいたくな食事なのだそうだ。それを上手そうにほおばるボスが、僕には判らない。ボスは本当に、人間になってしまったのだと思った。
僕にとってこの食事は、なんだかさっぱりだった。味はともかく、人間の身体にはぴったり合うようで、空腹はすぐに満腹に変わった。それだけで、よかったと思うことにした。
ボスは気前よく僕の分も払ってくれた。マサアキの財布よりも、ずっと厚くて中身が多いお財布だった。
ボスは人間の世界でもボス(社長)をしているらしい。
「結局俺は、上に立つのが一番なのさ」
ボスはそう言った。
別れ際に、ボスは沢山のキャットフードを持たせてくれた。
「お前が猫に戻ったら食え」
いつになるかわかんねぇけどな。
意地悪く言いながら、でもボスはとても優しい人だった。
「いいか新米。入れ替わるきっかけを思い出せ。そうすりゃ謎は解けるさ」
「きっかけ・・・?」
「そうだ。そう簡単に入れ替われるもんならみんななってるさ。そうじゃねぇ何かがあるはずなんだ。そいつを見つければ、きっと元に戻れる」
それからボスは淋しそうに笑うと、僕に言った。
「あいつが死ぬ間際に願ったみてぇにさ、強い思いがあれば戻れるんじゃねぇか?」
僕らが入れ代わった瞬間は、いったいどこだったんだろう?
そんな強い思いがどこかにあったんだろうか?
「とにかく、お前らの結びつきが強いって事だ」
うらやましいことで。
ボスは嫌味を言いながら、僕を見る。
「俺は人間になってから、猫は大嫌いだ」
僕はそのセリフに大笑いした。よく言うよ、猫だったくせに。
「僕は、人間になってから、人間は大嫌いだよ」
ボスは淋しそうに笑って言った。
やっぱり、お前は猫の方が合ってるよ。
ボスに会ってから、元に戻りたくて仕方がない。僕の体の中にいるだろうマサアキの方はといえば、一日中寝ている。
のんきだなぁ。と嫌みを言うと、ぴくりと耳を動かす。猫になったマサアキがにゃぁと鳴く。文句を言ってるらしいのだが、さっぱり判らない。
でも、マサアキの方には人間の僕の言葉が理解出来ているはずだ。僕が猫だった時にそうだったから。一方通行ながら、それなりに意志の疎通を試みてみる。人間になったところで、僕の友達はマサアキ一人しかいないのだから。
とにかく人間としてマサアキの身体を大切にしなくちゃいけなかった。慣れた家にやっとの事で辿り着いても、僕には困難が山積みだった。それはまた、猫になったマサアキも同じだったようだ。
ボスに貰ったキャットフードを開けて食べてみた。
・・・まずかった。
確かにこの味だった。この匂いだったけれど、人間になった身体には全然あわないみたいで、お腹を壊した。まだ、トイレにも慣れていないと言うのに。
マサアキは何も食べない。いつもの僕なら、昼寝の間に水を飲んだりおやつを食べたりするのだが、キャットフードは少しも口にしない。猫の身体にはそれが合ってるはずなのに、マサアキは口にしない。
きっとプライドというモノが許さないのだろうと思う。
・・・チャレンジ精神がないんだ。
人間の一日はひどく長くて、退屈で憂鬱だった。いつもみたいに昼寝をしようと、マサアキのベッドに潜り込んでみた。でも、なんだか寝心地が悪いだけで、僕はもっと憂鬱になる。
僕は人間になんて二度となりたくないと本気で思った。
どんな理由があって入れ替わったとしても、もうこりごりだ。
僕は猫で十分。
例え、僕の心臓が人より小さくて早い鼓動だとしても。
例え、その人生が短いとしても。
僕は、僕でありたい。そう必死で願った。
ボス、僕は猫に戻りたいよ!
気がつくと、僕は猫に戻っていて午後のぽかぽかの中にいた。日が落ちて、ぬるい日溜まりが僕の身体にあたっている。
僕の大好きなぽかぽかの時間が終わってしまう。慌てて何度も寝返りを打ちながら、やっと安堵の時を迎えて僕はぽかぽかに身体を沈めた。
これで、やっとゆっくり昼寝が出来る。
マサアキが作ってくれたボロ毛布でできた僕のクッション。僕の身体にちょうど良い大きさで、マサアキの匂いが残っている。僕はこのボロ毛布のクッションが大好きだ。
・・・マサアキがいない時間、僕を包んでくれるから。
ぽかぽかが終わった後も、僕を包んでくれるから・・・。
がちゃり。と玄関の音がして、僕は目を覚ます。
猫の足で、猫の身体で、僕は一目散に走っていく。
「ただいま、キョウ。遅くなってゴメン」
部屋中が真っ暗になって、辺りがシンとした頃、やっとマサアキが帰ってきた。マサアキは僕を抱き上げながら、疲れた声で言った。
「会社に行く途中、俺は事故の巻き添えをくったらしい。トラックが目の前に飛び込んできたのは覚えてる。でもその後の記憶がないんだよ。気がついたら、近くの公園の草むらで寝てたんだ」
マサアキはそうつぶやくと、僕の身体をきゅっと抱きしめた。
「今でもハッキリ覚えてる。あの瞬間、宙返りをした記憶だけあるんだ」
トラックが、目の前に飛び込んできた瞬間。
「お前みたいにふわっと宙返りができたら、ってそう強く思ったのを覚えてる」
お前がいつもタンスの上からおりてくるときにする、あれだよ。
マサアキは、不思議そうに何度もいいながら、安心したようにため息を付いた。
「でも、よかった。生きてて」
僕は何度もマサアキに声をかける。
僕もね、マサアキだったんだよ。
マサアキになって今日を過ごしてたんだよ。
「眠ってる間、キョウになってる夢を見たよ」
お前、一日中寝てるんだな。
おかしそうにマサアキは笑い、つられて僕もうれしくなった。
ボスの言うとおりだ。
結びつきの強い僕らは、きっかけの時間に入れ代わって、元に戻ったんだ。
「でも、不思議な夢だったなぁ。俺がお前で、お前が俺の夢だった」
猫の一日は早いな。
マサアキはそうつぶやいて僕を見る。
「なんか腹減ったなぁ。そういや、夢の中ではろくなもん食えなかったからな」
キャットフードはまずい。
マサアキはまた笑いながら、そのまずいキャットフードを僕にくれる。
「お前には最高の味なんだろう?」
僕はキャットフードを食べながら、マサアキも元に戻れたのを喜んだ。
「・・・あれ?」
こんなに買い置きしてあったっけ?
棚をのぞき込みながら、マサアキは不思議な声をあげる。
僕はボスのことを思いだして、凄く嬉しくなった。
あれは夢じゃなかったんだ。
ねぇ、マサアキ。今度ボスにあったらよろしく伝えてね。
「・・・ん?何だ。おかわりか?」
ちがうったら、ボスが買ってくれたんだって。
「何だよキョウ、食いしん坊だなぁ」
マサアキはちっとも判ってない。
でも僕は何だか嬉しくなって、山盛りに載せられたキャットフードを食べた。
美味しい美味しい、ボスがくれたキャットフード。
ボスが食べさせてくれた贅沢な人間の食事よりも、断然美味しい僕のご飯。
ボスはきっと言うだろう。
やっぱりお前は、猫が合ってるんだな。って。
何のまじないかは知らねぇが、俺は生きたいのよ。
そう言ったボスを僕はとても強いと思った。
そして、誰かの分の人生を重ね合わせて生きていくボスも、また強いと思った。
僕はボスのように強くなれないけれど、入れ替わることでマサアキを失わずにすんでよかったと思う。
僕には、僕の前にしかれた人生を歩けばいいのだと思った。
例え、短い人生でも。
終わりが来るまでマサアキと一緒に。
猫として。
あとがき
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